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2007年06月04日(月)
任天堂の本社まで行ってしまった母

『泣ける2ちゃんねる』(泣ける2ちゃんねる管理人・2ちゃんねる監修:コアマガジン)より。

【「親が買ってくれた思い出のゲームソフト」より(投稿者:氏名不詳(02/06/03 17:01))

 小学生の時、ファミコンが故障した。
 それでおかんに修理出してきて、って言って
 俺は友達の家に遊びにいった。

 普段ファミコンショップなどに修理に出すが、おかんはあまり機械に詳しくなかったらしく、任天堂の本社までいってしまったw(編註・w=笑い の意)

 普通なら門前払いだが、なんと任天堂の社長室まで招かれ、社長が出てきて、「いつもありがとうございます。確かに修理お預かりします」といわれたらしい。あまりに腰の低い社長におかんはびっくりしたらしい。

 今思うと、子供のためとはいえ本社までいってくれたおかんに感謝したい。】

〜〜〜〜〜〜〜

 『2ちゃんねる』への書き込みですし、僕は以前、「富士通の本社にパソコンを買いに行って驚かれ、いろいろおまけをしてもらった人の話」というのを聞いたことがありますので、まあ、この話が事実かどうかというのは、眉唾モノかな、という気もするんですけどね。

 ただ、この話の時代、まだファミコンが全盛期だった頃の時代の「任天堂」という会社では、こんなエピソードが本当に起こっていてもおかしくなかったよなあ、と僕は懐かしく感じたのです。

 昔は花札とかトランプを作っていた『任天堂』という会社は、「ファミリーコンピューター」の大ヒットで、一躍「世界を代表する一大エンターテインメント企業」になりました。それでも、ファミコン黎明期の任天堂をはじめとするゲームメーカーには、こういう「親しみやすさ」があったんですよね。たぶん、今の『NINTENDO』で同じようなエピソードを書き込む人がいても、みんな「作り話だろ、それ」と本気にしないと思います。「あんな大企業の社長が、わざわざ会ってくれるわけないだろう」と。

 あの「ファミコンブーム」の時代のゲームメーカーには、こういう話が本当にあってもおかしくないような、「ゲーム機を本社に直接修理に持ってきてくれたお母さんに偉い人たちが本気で感謝する空気」があったのです。このお母さんを見て、任天堂の人たちは、「自社のゲーム機がこれだけたくさんの『普通の人々』に愛され、大事にされていること」を喜んだに違いありません。

 これはまさに、ゲーマーたちも、ゲームメーカーも、そして、ゲームという文化も、まだまだ「未成熟」だった時代の温かいファンタジー。