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2007年05月31日(木)
「巨大SNS列島」を支える「日本語ブログ」

「週刊アスキー・2007/6/5号」(アスキー)の「今週のデジゴト」(山崎浩一著)より。

”ブログで使われている言語、日本語は英語を抜いて最多に”
 2006年第4四半期にブログで最も使われていた言語は日本語で、世界中のブログ記事の37%を占めていることがわかった。米TechnoratiでCEOを務めるDavid Sirfy氏が5日、自らのブログで明らかにした。この結果は、同社が定期的にとりまとめているブログの動向調査をもとにしたもの。それによれば、世界中で作成されたブログ記事のうち、37%は日本語で書かれたもので、2位の英語(36%)をわずかに上回ったという。3位以下は、中国語の8%、イタリア語の3%と続いている。なお、前四半期では英語が39%でトップ、日本語は33%で2位だった。(2007年4月6日付『INTERNETWatch』)


 と、こんなデータを引用して、さて私は何が言いたいのだろう? 「5人に1人が中国人だから中国の覇権は地球の20%に及ぶ」とか「ADSL(!)普及世界一だから韓国は世界一のネット先進国だ」とかと同類の誇大妄想に浸りたいのか?
 確かに世界の言語人口の2%を占めるにすぎない日本語が、ブログ界で英語を超える”占有率”(という言い方にはかなり語弊があるが)を記録している、という統計には単純に驚ける。すごいな、と素直に思える。が、この数字が単に「日本にはドメスティックなブロガーが多い」という以上の意味を持っていないことを理解する程度の冷静さを身の程は、わきまえているつもりだ。
 いや、もちろんこのデータだけでは”他言語を発信する日本人ブロガー”や”日本語で発信する他国人ブロガー”がどれくらいいるのかまでは知ることができない。あくまでも使用言語だけの統計なのだから。
 が、それにしても世界の全ブログの37%を占める日本語が、ワールドワイドウェブの37%のコミュニケーションを媒介している――と想像できるほどの想像力は私にはない。そのイメージギャップには眩暈すら覚える。その37%の日本語の大半が日本国内のみで流通・消費されている――と考えるほうが、やはり想像負荷(?)は小さい。
 もちろん海外の日本語学習者や日本マニア/オタクが日本語ブログにアクセスする光景は、充分に想像できるだろう。実際、日本語エントリーに他言語コメントが付くケースも年々増加している。しかし、、それはあくまでも特殊ジャンルに限られたことで、たとえば政治系・ニュース系ブログではほとんど見かけたことがない(たまに見かけても”なりすまし”の疑い濃厚だったり)。

 つまり37%の日本語は巨大ローカルな”閉ざされた言論空間”を形成するのみなのだ。その外側に出て行かない。その言論鎖国的空間で無数の内弁慶たちが内輪話や楽屋落ちで盛り上がってる――という、言ってみればSNS列島、国内LAN、ウェブ内租界みたいなイメージ。

(中略)

 エコノミスト池田信夫氏のブログ(ウィキペディアとの闘い)によれば、3月頃から英語版ウィキペディアの”Comfort women”(いわゆる”従軍慰安婦”)の項目が、匿名の人物によって荒らされ始めた。「20万人の韓国人少女が日本軍に強制連行され性奴隷にされた」というムチャクチャな(しかし、半ば”定説”化しつつある)記述が書き込まれたのだ。池田氏が何度訂正しても、執拗にrevert(全文復元)され、そのすさまじい編集合戦は10日間で500回に及んだという。revertは同一IDで3度までしかできないが、相手はIDを変えて訂正書き込みを妨害し続ける。管理者に通報しても対応してもらえない。池田氏はとうとうギブアップ。結局、この項目はその人物のプロパガンダが書き込まれたまま保護状態にされてしまった。
 知識と意欲と英語力に不足のない池田氏ですら(「だからこそ」か?)お手上げにさせる相手の粘着エネルギーは、ほぼその正体を想像できるとはいえ我々の想像の斜め上をいく。
「これに対抗できるエネルギーがあるのは、2ちゃんねらーぐらいかな。だれかスレを立てて『祭り』にしてよ」(池田氏)。いやいや、当エントリーのコメントにもあるように「2ちゃんねらーは敵に回すと怖いが味方にすると頼りない」に私も同意せざるをえない。】

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 これを読んでいると、日本というのは本当に「ブログ大国」なのだなあ、と驚いてしまいます。世界の言語人口の2%にしかすぎない日本語が、ネット上のブログの世界では、「世界一使われている言語」なのですから。まあ、経済的な格差もあって、「ネットをいつでも使えるくらいの環境にある人の中での日本語を使っている人々の割合」というのは、2%よりは高いのではないかなあ、とも思うのですけど。
 こうして日本語で書いている人間が100%日本人ではないとしても、日本人が、「ブログで何かを表現するのが大好きな民族」であることは間違いないようです。ところが、いくら日本語で「世界に正しいことをアピール」しようとしても、実際にそれを読んでいる人の大部分は「日本人」でしかないわけです。

 英語が苦手な僕にとっては悲しくなるような話なのですが、学術論文の世界では、「英語で書かれていない論文は、評価の対象外」となることがほとんどです。それは、論文の内容以前の問題で、「どんなに素晴らしい論文でも、日本語だと、世界の人々は読んでくれない」のです。もちろん、日本国内で出版されている学術雑誌には日本語の論文もたくさん載ってはいるのですが、それはあくまでも「ローカルな価値しかない」ものだと認知されています。英語圏に生まれた人にとっては、母国語で書けばいいわけですから、そんなのすごく不公平だし理不尽だという気持ちは僕にもあるのですけど、だからといって、僕がこの世界の片隅で「お前ら日本語の論文だからって差別するな!」とか叫んでみても、「ハァ?」とか呆れられてしまうのがオチなんですよね。少なくとも「日本語の論文が世界的に通用するようにしていく」よりは「僕が悪戦苦闘して英語で論文を書く」ほうが、世界の人々に読んでもらうためには、はるかに「近道」ではあるわけです、誠に遺憾なことではありますが。

 今、日本中に存在している「正しい日本の姿」「日本のスタンス」をアピールしているブログの多くを読んでいるのは、それが日本語で書かれているかぎり、やはり「日本人」なのです。そして、そこにどんなに正しいことが書いてあったとしても、それはなかなか他国の人には伝わりません。僕が、英語のサイトを「読みこなせない」ので、ほとんど行かないように。
 誰かがそれを「翻訳」してくれるにとても、それが正しい翻訳なのかどうかって、相手の言語に精通していないとわかりませんしね。

 日本人は、同じ日本人相手に「海外で誤って伝えられている日本の姿」を語り、「あそこはなんて酷い国なんだ!」って言いがちなんですが、結局それって、他の国の人からすれば「日本人は自分達だけで寄り集まって、わけのわかんない言葉でこっそり陰口言ってるらしいぜ」みたいな感じなのかもしれません。本当に悔しいことですが、「世界中で同じものが見られる」インターネットでも、「言葉の壁」というのは、イメージ以上に大きいのです。どんなにアメリカや韓国のサイトに酷いことが書いてあったとしても、そこに直接抗議する日本人というのは、本当にごく少数です。誰かが訳した内容を鵜呑みにして、「2ちゃんねる」に集まって日本人どうしで大騒ぎ。もちろん、それもひとつの「世論」ですから、全く社会的な影響が無いわけではありませんが……
 
 この池田信夫さんの「ウィキペディアとの闘い」のエントリーを読んでみると、同じ日本人ですら、池田さん自身やその行為に対して批判的な感情を抱いている人は少なくないようです。考えてみれば「日本人同士だって、そんなにネットでわかりあえているわけではないのだから」、言語を超えての相互理解なんていうのは、夢のまた夢、なのかもしれません。
 同じ日本人同士で、まったりと語り合うブログだって、それはそれで当事者たちが幸せなら、誰かに批判されるような筋合いもないだろうしね。