初日 最新 目次 MAIL HOME


活字中毒R。
じっぽ
MAIL
HOME

My追加

2007年05月06日(日)
黒田博樹「スーパースターになるならカープで」

「Number.677」(文藝春秋)の特集記事「野球魂。」より、特別ノンフィクション「黒田博樹『誰がためにカープを』」(室積光・文)の一部です。

【黒田博樹が肉体でけでなく「心」も両親の何かを受け継いだことは確かだ。
 野球を始めた少年野球チーム「オール住之江」でも父が監督だった。お互いやりにくかったようで、父は贔屓していると思われないように息子には殊更厳しくした。
 その頃から目標とする選手はいないという。黒田は常に自身の中でフロンティアなのだ。
 父がOB(黒田投手の父親である一博さんは、南海で活躍した元プロ野球選手)である関係から、大阪球場で南海ホークスの試合を観戦することが多かったが、ファンというほどでもなかった。
「ただ、観客の少ない試合でも頑張っている選手を見ると自分のために頑張ってくれているように思えたんです。誰かがヒットを打つと、僕のために打ってくれたって」
 だから今逆の立場にあって、そんなファンのために頑張りたいという。
 確かに広島市民球場が満員になることは珍しい。だが、少ない観客の中には初めてプロ野球観戦に来た人、あるいは遠くからわざわざ足を運んだ人もいるだろう。
 忘れがちなことである。演劇の世界でも「観客とはいつも初対面」という言葉がある。
「年間で投げても30試合ぐらいですけど、いつもこの試合で終わってもいい、というつもりでマウンドに上がります」
 と黒田は言った。だからグラブを出さずに右手で打球をつかみにいくことがあると。
「僕らはお客さんの前で頑張ることしかできないじゃないですか」
 言葉はシンプルだが、この人が言うと重みが違う。

(中略)

 黒田にとって、カープは最初に声をかけてくれたプロ球団だった。
「もし高校時代にスーパースターになっていたら、そのままスーパースターである自分を追い求めていたように思いますが、自分ではスーパースターになれないと思いますし、逆になるならカープで、とも思います」
 つまり人気球団に移籍して、一瞬あだ花のようにスーパースター扱いされるより、カープで継続して結果を残して評価される方に価値があるのではないか、と考えたというのだ。
 黒田博樹は安易な道より、苦しくとも本物と思える結果を出す道を選んだということだ。
 確かに自分自身が納得する方を選べば後悔はないだろう。私は彼が正しいと思う。だが、
「どちらが正しいか野球人生が終わってみるまでわからないです」
 と黒田自身はあくまでも冷静だ。
 これを見ても今回の彼の選択が、単なる人気取りのスタンドプレイでないのがわかる。真剣で重い決断であったのだ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 カープファンである僕は、黒田残留のニュースをネットで見たとき、涙が止まりませんでした。いや、カープファンでさえも、大部分の人は、黒田投手の残留を願いながらも、「やっぱり出ていってしまうのだろうなあ……」と半ばそれを「規定路線」だと考えていたのではないでしょうか。カープに残留すれば年俸だってメジャーや巨人・阪神に比べればはるかに安くなってしまうでしょうし、甲子園球場での阪神のように、熱狂的な満員のファンに後押しされることもほとんどないでしょう。彼ほどの超一流の投手でさえ、全国的な知名度は、巨人の「ようやくローテーションに入っているくらいの一流半の投手」に負けていたりもするのです。カープファンの僕でさえ、「黒田が自分の友達だったら、『残ったほうがいい』とは言えないんじゃないだろうか……」などと考えていましたし。
 黒田投手の「残留」が、プロ野球界に大きな一石を投じたのはまぎれもない事実です。この残留劇は、ファンが選ぶ昨年の「プロ野球のいい話」の第一位に選ばれましたし、「黒田を獲得できなかった」はずの他球団の監督や球団社長も「個人的には、野球界にとって、すばらしいことだと思う」とコメントしていましたし。
 この号の『Number』で、近鉄の「球団消滅」を経験した、現ソフトバンクの大村直之選手に関してのこんな話が紹介されていました。

【大村は子供の頃、プロ野球を観にいったことが「1回しかなかった」。彼にとって野球は、観るものではなく、やるものだったからだ。野球をやっていたから野球を観る時間はなく、どこかのチームのファンでもなく、誰々のファンでもなく、「サインして欲しいと思ったこともなかった」。だからプロになってからも、実はファン心理というものが「分からなかった」。
 プロには大村のようなタイプが結構多い。そんなタイプにとって、あの騒動(近鉄とオリックスの合併劇)は「ファンを意識するキッカケになった」。そして、プロ野球興行はファンに支えられて成立してるという当たり前の構造を意識するようになり、問題意識を持つようになった。】

 おそらく、多くのプロ野球選手にとっての「実感」は、こんなものだったのだと思います。とくに、高校時代から甲子園のスター選手だったり、スカウトにもてはやされていた選手たちは。「プロ野球に入れるような選手たちだからこそ」、野球というのは「自分でやるもの」で、「見るもの」ではないという感覚なのでしょう。こういうのは、日頃身近に接しているはずなのに「医者には患者の気持ちがわからない」と言われるのと、同じようなものなのかもしれません。少なくとも、観客が「同じ野球を愛するものとして、このくらいはわかるはず」という「ファンの気持ち」は、多くのプロ野球選手にとっては「考えてみたことがないもの」だったのです。
 
 黒田投手は、上宮高校時代「投手としても3番手」だったそうです。いくら甲子園常連の名門校とはいえ、高校時代は「スター」として騒がれる存在ではなかったはずです。そんな自分の経験と、子供時代に見た「少ない観客のために頑張ってくれているように見えた選手」の姿が、今回の黒田選手の選択に大きな影響を与えたことは間違いないでしょう。もちろん、「だからこそ自分がより目立ちたい、観客の多いところでプレーしたい」と考える選手だっているとは思うのですが、黒田投手は、そういう人ではなかったみたいです。

 「どちらが正しいか野球人生が終わってみるまで分からない」と黒田投手は語っています。たぶん今でも、「やっぱりメジャーや人気チームに移籍しておけばよかったかな…」と後悔するときだってあるのではないでしょうか。
 「自分の夢」としてメジャーに挑戦したり「現実的な選択」として国内人気球団にFA移籍する選手が多いなか、「弱くてお金も人気もないチームに留まって頑張る」という「夢」を描いてくれた黒田博樹の「選択」を正しいものにするためには、今後もよりいっそうのカープファン、野球ファンの後押しが必要です。
 僕にとっては、松坂や井川がマスコミの報道合戦のなかメジャーの強豪チームで挙げる「1勝」よりも、黒田がカープで勝ち取った「1勝」のほうがはるかに重く、意味があるもののように思えるのです。たとえ、大部分の野球ファンにとっては、スポーツ新聞の片隅に小さく結果だけが載っている「ささいなこと」でしかないのだとしても。