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2007年04月18日(水)
デビュー直後の高橋留美子先生からの手紙

『QJ(クイック・ジャパン)・vol.71』(太田出版)の「永久保存版 高橋留美子」という特集記事の「トップを走り続ける最強の少年マンガ家〜高橋留美子・15000字インタビュー」より。取材・文は渋谷直角さん。

【それともう一つ感じたことは、「人気を取ること」へのコダワリだ。唐沢俊一氏が、デビュー直後の高橋留美子にファンレターを送ったという。「これからどんどん売れてくると、描きたいものと作品が乖離していくと思うので、お身体にはご注意下さい」といった内容だった。すると高橋留美子からの返事はこうだ。「私は売れたいと思ってこの業界に入った人間なので、絶対に潰れないからご安心ください」。(月刊『創』2006年11月号より)

高橋留美子「すげえ、私(笑)。つうか、こえ〜(笑)。全然忘れてますね(笑)。そうか、そんなことも書いていたか……。でもね、間違いないです。やっぱりね、私はマンガは売れた方が良いと思うんです。それはイコール楽しい、面白いってことじゃないか、っていうのがあってね。わかる人がわかってくれればいいとか、同人誌じゃないと描けないネタがあるとか、そういうのは嫌なんですよ。そうじゃなく、自分がすごい描きたいものを一般誌で描いて、大勢に読んでもらったほうがいいじゃん、っていうのはすごい思ってたし、今でも変わってない」

 そりゃもちろん、売れる方が良いに決まってるとは思うが、高橋留美子からそれを言われると凄みが違う。説得力が違う。ではなぜ、高橋留美子のマンガは売れるのか。いつまでも古びず、何度でも読めるのか。

高橋「そうだな。私のマンガは気楽に読めちゃうからじゃないですかねえ。バカバカしい話が多いんでね。疲れてても、スルスルッと読めちゃう。子供が読める気楽さっていうのは、自分としてはすごく大事なことなんですよ。だから子供が成長して、これから思想的なマンガに行くにせよ、まずはその、ベーシックなものを読んで訓練するのも良かろうし、とかね。変なことをしてもしょうがないし。疲れないで読めるものを目指しているんですよね。マンガは楽しければいいって思うから。】

 以前、高橋留美子さんの担当編集者だった、有藤智文さん(現・小学館『週刊ヤングサンデー』副編集長)からみた「マンガ家・高橋留美子」。

【とにかく高橋先生は、本物のプロフェッショナル。四六時中マンガのことを考えながら、メジャーなフィールドで優れた作品を極めてスピーディーに作り上げる。マンガが本当に好きで一所懸命だから、『うる星』はアニメ版も盛り上がって、別のファン層も生まれていったんですけど、そちらのほうは基本的にノータッチでした。
 もちろん天才ですけど、それ以上に努力家なんですよね。もう、仕事を休むのが大嫌いな人で。この間、『1ポンドの福音』を単行本にまとめるために、『ヤングサンデー』で完結まで集中連載したんですけど、その時も『少年サンデー』の『犬夜叉』の週刊連載を休まなかった。『うる星』を描いている頃は、並行して連載している『めぞん一刻』を描くことが息抜きで、『めぞん一刻』の息抜きは『うる星』だとおっしゃってましたからね(笑)。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕は今まであまり高橋留美子さんのマンガを読んでいなかったのですが、この特集記事を読んで、やっぱりこの人は凄いマンガ家だなあ、とあらためて思い知らされました。この特集のなかに、『めぞん一刻』で、雨の中、響子さんが五代くんをビンタするシーンが掲載されているのですが、その1コマだけで、「この人は別格!」って感じがしたんですよね。ロングショットで描かれている2人、「パン!」という音、そして、そのコマの中央下に挿入された2人それぞれのアップの表情。
 僕は以前、「高橋留美子」というマンガ家を、「あんなマンガは『オタク』が読むものだ!」と頑なに拒否していました。『うる星やつら』がアニメで放送されていたのは1980年代前半なのですが、当時の「オタク」の代名詞は、「ラムちゃんのTシャツ」でしたから、ただでさえオタクの素養MAXだった僕としては、「これで高橋留美子にハマってたりしたら、もう、絶対に僕はオタクとしてみんなに白眼視される……」という恐怖感もあったのです。『めぞん一刻』は、同級生男子にもファンがものすごく多いマンガだったのですが、「そんな軟弱なマンガ、興味ない!」と僕は自分に言い聞かせていました。でも、友達がどうしても読めと貸してくれた最終巻を読んだときには、感動のあまり、寮で布団をかぶってちょっとだけ泣きましたけど。
 この本には高橋留美子先生の写真も掲載されているのですけど、なんというか、「ちょっと研究者っぽい感じがする、40歳くらいの女性」なんですよね。少なくとも写真からオーラが出まくっていたりはしません。

 ここで紹介されている、唐沢俊一さんからのファンレターへの「返事」には、「プロのマンガ家」であり、「少年マンガのメジャー誌で生き残り続けることへのこだわり」を持ち続けている「マンガ家・高橋留美子」の気概がこめられていますし、これだけまっすぐに「売れること、より多くの読者に読まれること」を追い求めてきたマンガ家というのは、他には、同じ『週刊少年サンデー』の看板である、あだち充先生くらいではないでしょうか。今はマンガ雑誌も多様化して、多くの「元・人気少年マンガ家」が、青年誌や一般週刊誌に作品発表の場を移しているというのに。
 マンガ家本人が年を重ねていくということを考えれば、そういう「大人の読者」を相手にしたほうが、はるかにやりやすいはずです。もう、今までの作品の印税だけで、これ以上働かなくても余生は遊んでくらせるくらい稼いでおられるでしょうし。それでも、高橋留美子というマンガ家は、「少年誌で勝負し続けて、読者のニーズに応えること」をやめようとしないのです。

 「マンガは楽しくなくっちゃ」と言いながら、「楽しいのはもちろんだけど、楽しいだけではないマンガ」を描けてしまうところが、高橋先生の魅力なのでしょう。 
 この特集記事のなかには、「手塚治虫先生に神様という言葉を使うのなら、高橋先生はマンガの神様に愛された人だと僕は思っています」との歴代編集者の言葉が掲載されています。
【『うる星』を描いている頃は、並行して連載している『めぞん一刻』を描くことが息抜きで、『めぞん一刻』の息抜きは『うる星』だとおっしゃってましたからね(笑)】
 いや、僕がもしマンガ家だったら、こんな「マンガモンスター」と同じ土俵で勝負するのは辛いだろうと思いますよ、絶対。