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2007年03月23日(金)
「できるだけ早く」「いつか必ず」は、負け犬予備軍の合言葉

『あなたの話はなぜ「通じない」のか』(山田ズーニー著・ちくま文庫)より。

【日本に暮らす私たちが、省いたり、ぼやかしたりするものが主語の他にもまだある。

感冶課長「請求書は、できるだけ早く提出してください」

論田くん「できるだけ早くって、いつまでですか?」

感冶課長「できるだけ早くだ。総務は急いでるんだ」

論田くん「あの、何月何日の何時まででしょうか? 外注先にいま、お盆休みを取っている会社があり、17日の朝9時にならないと連絡がとれないのです」

感冶課長「できるだけ急いでもらってくれ」

論田くん「…………。では、質問を変えます。8月17日の10時までになら提出できますが、これでは遅いでしょうか?」

感冶課長「……。総務に聞いてみる」

感冶課長(戻ってきて)「論田、提出の期限は18日中だそうだ」

 これは、業務連絡に日時がないことがネックだとすぐわかる。「できるだけ早く」は人によって「1時間以内」か「本日中」か、「今週中」か、ずいぶんブレる言葉だ。なのに、自分でもつい「できるだけ早く」「急ぎでお願いします」とやってしまうのはなぜだろう?
 「時間」に決めは億劫だ。時間を入れなければ私たちはわりと自由に願望を語れる。「私、絶対自分史を出すわ!」「両親をヨーロッパに連れていくぞ!」では、それに日付を入れてください、というと、たいがい無口になる。以前、企業にいたとき、「事業計画とは、夢に日付を刻むことだ」と教えられた。最初はこの意味がわからなかったが、自分で企画を立てる段になって、アイデアをスケジュールに落としていくところで本当に苦悩した。そのかわり、日程が組みあがっただけで、ほぼ、仕事の全容が見えた。それだけ、時間の決定にはさまざまな要素が絡んでくる。大小さまざまな「決め」をしないと、適切な時間の設定ができない。
 決めのない発言は、結局、相手に負担をかけてしまう。発信には、極力、日時を刻もう。
 例えば、相手の都合を聞くにも、「いつがいいですか?」としないで、「8月20日までの間で、いつがいいですか?」あるいは、「17日、18日当たりいかがですか? 時間帯は午後ならいつでもかまいません」というように、積極的に具体的な日時を入れてみよう。
「お金」も同じように「そんなに高くない」「良心的なお値段で」などとつい曖昧にしがちだ。お金の話をあからさまにするのは、はしたないという習慣もあろう。しかし、例えば、会費8000円を、すごく高いと感じるか、そんなに高くないと感じるか、金銭感覚は人によってとても違う。不透明にしたままだと相手は自分と対等になれない。情報は持ってないほうが不利に立たされる。金銭の情報は、早いうちに公開し、相手が検討できるようにする。値段の決定ができない段階でも目安の数字は示したい。
 論理の橋を架けるには、わかりやすいこと、人によるブレが少なく、どんな人にもガラス張りで、対等に内容の検討ができることが条件だ。
 主語を決めることで人を決め、時間を決め、お金を決める。決める億劫さやリスクを引き受ける。優柔不断な人はどうしたって論理的になれない。論理的に話すコツは「決め」だ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 とても参考になるというか、僕自身にとっても、すごく反省させられる文章でした。こんなふうに「できるだけ早く」「なるべく急いで」などという言葉の語感の強さに満足してしまって、「どこが本当のタイムリミットなのか?」ということを曖昧にしてしまっていることって、かなり多いのではないでしょうか。それは結果的に頼む側にとっても頼まれる側にとっても「見解の相違」を生むだけのことなのに。
 確かに「時間間隔」っていうのは人それぞれで、メールに「なるべく急いで返信してください」と書いてあったとしても、人によって、その「急ぐ」の概念というのは異なるのです。ある人は、そのメールを読んだ途端に返信メールを打ち始めるでしょうし、ある人は「急いで、っていうことだから、今日中には返信しなくちゃな」と思うでしょう。あるいは、「1週間以内には返事しなくちゃな」と考える人だっているはずです。でも、そこに書いてあるのが具体的な日時ではなくて曖昧な「なるべく急いで」という言葉であれば、どんな解釈をするかは、ある程度受け手のほうに任せてしまっている、ということなんですよね。もちろん、本当に「一刻一秒を争う」ような用件なら、メールじゃなくて直接会って話すか電話を使うべきなのでしょうけど。
 ここに出てくる「論田くん」の【論田くん「あの、何月何日の何時まででしょうか?】っていうのは、なんだか子供のケンカでの言い合いのような印象を受けるのですが、僕がそんなふうに感じるのは、日本の大人社会では、日常的には、こういう「クリアカットに条件を提示すること」への違和感がかなり強いから、なのかもしれません。あるいは、無意識にお互いに条件を曖昧にすることによって、いざとなったら「できるだけ早くって言ったのに!」「僕なりにできるだけ早くやりました!」というような逃げ道を作っているだけなのかも。この例では、総務に問い合わせるという手間がかかっているのですが、結果的には、最初から課長が総務に問い合わせておいて具体的な期日を設定しておけば、それが可能かどうかについて相談するだけで済む話だったのですから(おそらく、その場合だと論田くんは「わかりました」と返事をして、そのまま期日までに請求書を提出しただけだったはずです)、かえって余計な手間がかかってしまっているわけです。

 この文章で、僕にとっていちばん痛いところをつかれたのは、【「時間」に決めは億劫だ。時間を入れなければ私たちはわりと自由に願望を語れる。「私、絶対自分史を出すわ!」「両親をヨーロッパに連れていくぞ!」では、それに日付を入れてください、というと、たいがい無口になる。】というところでした。僕もいつも「まとまった文章を書きたい」とか「英語の論文をなるべく書くようにする」というようなことを考えているのですが、僕の「決意」にも、日付が入っていないのです。本当に「目標を達成している人」というのは、たとえば「1年間に1本、必ず英語の論文を雑誌に投稿する」とか「3月31日締切りの文学新人賞に間に合うように、今書いているものを仕上げる」というような、具体的なスケジュールを必ず意識しているのです。そして彼らは、目標から逆算して、「1年に1本論文を書くためには、今から3か月以内にデータを集めて、半年前には日本語で下書きをしておかなければならない」という中間の目標を設定し、そして、それを実現するために「今日は仕事が早く終わりそうだから、あの実験のデータを整理して、あの論文を読んでおこう」というふうに、目の前の「今、やらなければならないこと」をこなしていくのです。考えてみれば、論文を書くためにはたくさんの積み重ねが必要なわけで、ただ「英語の論文を必ず書く!」という「努力目標」だけを繰り返していても、そんなのは妄想の世界でしかありません。「必ず!」って言っていれば、寝ている間に小人さんたちがやってきて、論文を書いてくれているわけがないんですよね。
 ああ、書いていて自分で情けなくなってきたよ……

 とりあえず「スケジュールを立てる」というのは、目標を達成するためには重要なポイントなのでしょう。「夢がある自分」に酔うのためではなく、本当にその目標を実現しようと思っているのなら、まずは具体的な日付を入れてみるべきなのです。
 ただ、実際には、「計画を立てた時点で満足」してビールを飲んで熟睡、なんていうのも、ありがちな話なんですけどね。僕も学生時代の「夏休みの友」の「スケジュール表」通りに生活したことなんて、結局1日もなかったものなあ……