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2007年02月17日(土)
荒木飛呂彦先生の「悪役」への奇妙な愛情

「週刊SPA!2007/1/23号」(扶桑社)の「トーキングエクスプロージョン〜エッジな人々・第471回」漫画家・荒木飛呂彦さんのインタビュー記事です。取材・文は伊熊恒介さん。

(荒木先生の「悪役」の描きかたについて)

【インタビュアー:ディオは悪役中の悪役。ストイックなまでの悪役ですね。

荒木:悪いヤツは最後まで悪を貫いてほしいんです。急に改心して「悪いことをしたな……」なんて思いながら死んでいってほしくない。

インタビュアー:潔さの美学。

荒木:少年マンガなので読者が悪役に味方してほしくはないんですけど、ヤツらなりに一生懸命生きているんだってことを伝えたい。それが『ジョジョ』の作品テーマである人間賛歌にもつながる。だから中途半端には描きません。残酷な描写もやるときはやります。作者としては、それが愛情なんです。

インタビュー:戦いを描くうえでの美学、ルールみたいなものもあるんですよね。

荒木:決して根性だけで勝利しないということですね。例えば、主人公は窮地に追い込まれたときに、友達のことを考えると急に力が出るとか、そういうのは安直な気がして嫌なんです。そんなに甘いもんじゃない。】

〜〜〜〜〜〜〜

 この『SPA!』の記事には荒木先生の写真も載っているのですが、1960年生まれということは、もう40代半ばのはずなのに、なんだかものすごく若々しくて驚いてしまいました。御本人は「あまりにそう周囲から言われるので『実は波紋戦士なんです』と答えるようにしている」そうなのですけど。

 僕が『ジョジョ』をいちばん熱心に読んでいたのは高校〜大学くらいのときで、そのときは第2部〜第3部、ジョセフ・ジョースター〜空条承太郎が主人公の時期でした。第3部のクライマックスで、時間を止められるというDIOの最強のスタンド、「ザ・ワールド」を空条承太郎たちがどう攻略するのか、毎週ドキドキしながら読んでいたのを思い出します。そして、確かにその場面を読みながら、僕は、この上なく悪いヤツであるはずのDIOに、かなり魅かれてもいたんですよね。なんて酷いヤツなんだ、でも、なんかちょっとカッコいいよな、認めたくないけど……という感じ。

 この荒木先生のインタビューを読んでいると、実は、荒木先生自身も「悪役」を描くほうが好きなんじゃないかなあ、という気がしてきます。これって、敵がどんどん改心して味方になっていく『キン肉マン』とかの「典型的な『週刊少年ジャンプ』のヒーローマンガ」への痛烈な皮肉のようにも思えるのですが、確かに、『ジョジョ』の悪役のほとんどは、自らの「悪の美学」に殉じて退場していきます。DIOなんて、何度出てきても絶対に「改心」しないですしねえ。他のジャンプ作品なら、DIOが改心して仲間になって、もっと強い敵が出てくるというのが「王道」のはずなのに。
 でも、確かにそう簡単に「改心」するのは、現実社会においても、たいした「悪役」じゃないよなあ。

 あと、「決して根性だけで勝利しない」というのも、思い返してみればそうなんですよね。多くのマンガは「友情」や「根性」で主人公に隠されていた力が発揮され、「奇跡の大逆転」を起こすのですが、『ジョジョ』は、どんな勝負においても、「なぜ勝てたのか?」ということに、(多少強引な場合もあるにせよ)「合理的な」説明が加えられています。「正しいから」勝つのではなく、「相手より技術的に上回っているから」「相手の弱点を見破ることができたから」勝つのが『ジョジョ』のルール。「友情パワー」で解決してしまえばラクなはずなのに、荒木先生は頑なにそれを拒み続けているのです。というか、むしろ、その「説明」を考えるのが楽しみでしょうがないように見えるときすらあるのですよね。

 僕の学生時代、『週刊少年ジャンプ』のなかで、『ジョジョの奇妙な冒険』はかなり異質なマンガだという印象がありました。僕はその「違和感」の理由を絵や世界設定によるものだと長年思い込んでいたのですけど、本当に「奇妙」だったのは、そんな「目に見える部分」だけではなかったようです。