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2006年12月16日(土)
中島みゆきさんが選んだ「一冊の本」

『ダ・ヴィンチ』2007年1月号(メディアファクトリー)の「中島みゆき・スペシャルインタビュー」より(取材・文:藤井徹貫)

【インタビュアー:銀河つながりになりますが、みゆきさん推薦の一冊が宮沢賢治『銀河鉄道の夜』だそうですが。

中島みゆき:2004年に初演し、06年に再演した夜会『24時着0時発』(再演時は『24時着00時発』の土台になった物語ですから。私にとっての『銀河鉄道の夜』を、宮沢さんにお手紙申し上げたのがあの芝居というか。かっこつけて言うなら、”宮沢賢治に捧ぐ”ってところですかね。

インタビュアー:中島版『銀河鉄道の夜』とも言える舞台でしたよね。

中島:かなりしつこく読み返しましたよ。途中、挫折しそうになったし。自分としての解釈は明確でしたが、原作者が何を言いたかったのかを、確認しながら脚本を書き進めないといけないし。自分の解釈だけで染めればいいってものじゃないから。ディテールにも気をつかいました。車窓から見えたのはススキなのか、イナホなのかとか。原作がススキであるなら、舞台でもそう見える工夫をしておかなければならないし。列車のシートは何色かとか。女の子が手に持っていたものとかも。

インタビュアー:最初の出会いはいつ頃でしたか。

中島:たぶん小学生の頃だったと思います。教科書にその一部が載っていたか、夏休みの宿題の読書感想文のために読んだか。それから何十回読んだかわからないけど、読むたびに解釈が違います。

インタビュアー:『銀河鉄道の夜』が読みたくなる周期があるのですか。

中島:忘れちゃうの。細かいところを。それに誰にでもあるでしょ、なぜか何回も買ってしまう本とか。本屋に行くと、なぜか手が伸びてしまう本とか。それですね。

インタビュアー:では、『銀河鉄道の夜』から得たものをひとつ教えてもらえますか。

中島:あの物語があったから、あの芝居ができたという意味では、「わかりやすくする」ことも学んだのかもしれませんね。たとえばですが、『24時着0時発』初演時は、賢治を具体的な姿で舞台に出しませんでした。瞬間それらしきものは出しましたけど。それじゃわかりづらいと。だから、今年の再演時は、最初と最後にしっかりとKENJIとして登場させたんですよ。アルバムにも通じることだけど、わかりやすくするとは必ずしも作品のクオリティーを落とすことにはならないと、わかりやすくしようと試みていました。

インタビュアー:またいつか『銀河鉄道の夜』を読みたくなるときがくると思いますか。

中島:それはあるでしょうね。読み切ったとは思っていないし。しばらくして読むと、別な解釈をするようになるかも。この先も楽しみな本です。】

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 中島みゆきさんが選んだ「一冊」は、宮沢賢治さんの『銀河鉄道の夜』ということです。この中島さんのインタビューを読んでいると、中島さんにとって『銀河鉄道の夜』は非常に大切な作品であるということが伝わってきます。それにしても、「自分としての解釈は明確」であったにもかかわらず、「原作者の言いたかったこと」をここまで突き詰めなければいけないのか、と僕はちょっと驚いてしまったのですけど。そういうのって、「私はこう思うから」ということで押し通してしまうことだってできるだろうし、「ススキかイナホか」「列車のシートは何色か」なんて、大部分の観客たちにとっては、たぶん「気にもかけないこと」だと思うのです。でも、同じ「創作」に携わるものとして、中島さんは宮沢さんの「世界観」を非常に大事にしているのです。
 中島さんの「忘れちゃうの」というコメントには、ファンとしては思わずニヤリとしてしまうと思うのですが、「『銀河鉄道の夜』から得たもの」として挙げたのが「わかりやすさ」というのはやや意外な印象もあります。『銀河鉄道の夜』というのは、僕にとって、けっして「わかりやすい」ものではなかったから。でも、そういうのも含めて、『銀河鉄道の夜』というのは、いろんな解釈のされかたをされながら、今でもたくさんの人に愛されているのですから、そういう「包容力」も含めて、やはり名作だということなのでしょうね。本というのは、何度も読み返したくなるものだし(僕の場合、あまりに初読の印象が素晴らしすぎて再読する勇気が出ない本というのもありますが)、読み手が歳を重ねていったり、立場が変わっていくことによって、解釈も変わっていくものですから。