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2006年11月29日(水)
「カーストを下げて、補助金を貰おう!」

「インド旅行記2〜南インド編」(中谷美紀著・幻冬舎文庫)より。

(中谷さんがインド旅行中に体験した、インドのカースト制の「なごり」についての文章)

【この国ではブラフマンに生まれついたがために僧侶の道を選ぶのが至極当然のように思われ、今では誰も使わなくなったサンスクリット語を頭が割れるような思いをして覚えなくてはならず、挙句の果てに少しでも感情的になれば、「僧侶のくせに」なんて、通りすがりの観光客にまで思われてしまうから気の毒だ。
 一方、不可触賎民に生まれれば、道端や汚物の清掃を余儀なくされるけれど、成績が優秀だった場合など、優先雇用制度も手伝って、ホワイトカラー職に就くことだって可能になった。そんなときは「不可触賎民のくせに」とこれまた疎まれることになるから大変だ。

(別項での、中谷さんとインド人の現地ガイド、シェカールさんとの会話)

「タミルナドゥーの州知事は女性なのを知っていますか?」
 男性優位のインドで女性が知事に?
「我々の州知事ジャヤラリタはかつて女優でしたが、同じくかつて俳優だった前任の州知事が亡くなると、そのガールフレンドだった彼女が、20年前のスクリーンでの人気と、社交界での人脈によってたちまち政界で力を持つようになりました。今では、タミルナドゥーの全ての大臣が彼女にかしづいています」
 ふーむ、女優が知事にねえ。少なくとも私は知事にはなりたくないし、望んだところでなれるはずもないが、そんな大変なお役目を請け負おうとする女優もいるとは……。今ではカーストの高低にかかわらず政治家になることができるようなので、女優でも政治家に転職することは可能なのだろう。
「私は、ブラフマンから数えて2番目のカーストですが、実は今度ひとつ位を下げようかと思っているんです。インドでは、カーストが低いほど、教育や医療のサポートがしっかりしています。大学受験や就職もそうです。高カーストの人間が、90点以上取らなければ入れないところに、不可触賎民の人々なら40点でも入れるような優待枠があるのです。良い成績でも入学や就職にあぶれる可能性があるのです」
 それは、不公平だとおっしゃるわけですね?
「正直に言うとそうです。私が子供たちに良い教育を受けさせようとすると、たくさんのお金が必要になりますが、今の仕事では11月から3月までの観光ハイシーズンにしか満足に稼ぐことができません。これで教育費を賄うことは不可能です。ですから、ひとつカーストを下げて、補助金を貰うことも検討しています」
 今は教育の機会がすべての子供に与えられているというけれど、就学年齢になっても道端で物乞いをしているのはなぜなのだろうか?
「親が子供たちを学校へ行かせないのです。学校は無料ですが、子供たちが物乞いをして1日に30ルピーでも稼いでくれたほうがいいと彼らは考えるのです。多くの貧しい子供たちは学校へ一度も行かないか、行ったとしても、途中で退学していきます。
 まるで「おしん」を見ているようである。】

参考リンク:カースト(Wikipedia)

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 インドでは、このヒンドゥー教の「カースト制」の影響が根強く残っており、それに対して、政府もさまざまな対策を立てているようなのですが、この中谷さんの文章を読んでみると、「平等」とか「公平」って、いったい何なのかな……と思えてきてしまいます。
 カースト上位の「社会的地位が高い人々」は、「医療や教育、就職などでは、低いカーストのほうが手厚い援助を受けている」ことに不公平感を抱いているようですし、その一方で、低いカーストの人たちは、目先のことを考えるのに目一杯で、その「援助」を有効利用できる人は、ごくひと握り。彼らの多くは、「教育を受けるメリット」をキチンと教えられることもないので、それを利用しようとも思わないのです。でも、上のカーストの人からみれば、「同じ就職試験で自分が80点で不可触賎民の受験者が50点だったとしても、採用されるのが50点のほう」だというのは、やはり、「不公平感」はありますよね。僕が同じ立場でも「こっちのほうが実力が上なのに!」と憤るはずです。「長い歴史的の『責任』を、どうして自分たちだけが取らなければならないのか?」と嘆きたくもなるでしょう。
 これを読みながら、「カーストを自分で好きなように下げることができるのなら、みんな経済的に有利な低カーストになりたがるのではないか?」などと日本人である僕は考えてしまったのですが、このシェカールさんがなかなかそれを実行できないのは、そういう「経済的なメリット」では埋められないような何かが、まだ、「カースト上位であること」に含まれているからなのかもしれません。
 本当は、「カースト制そのものをリセットする」ことができれば、それがいちばん良い「公平への近道」なのでしょうけど、現実は、連綿と続いている「伝統」というのは、そう簡単に消すことはできないのです。そして、もともと不公平なシステムの中で、なんとか「不公平」を無くそうというのは、結果的に、より一層それぞれの階層の人々の「不公平感」を複雑にしてしまう面もあるようです。