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2006年10月21日(土)
「人を傷つけずに話すコツや相手に嫌われず楽しませるコツを教えてください」

「週刊プレイボーイ」2006/10/30号(集英社)の「リリー・フランキーの人生相談・エロ話だっていいじゃないか!」(構成/吉田豪)より。

【――今週もハガキでの相談です!

「僕は、今まで他人から嫌われることが多かったように思います。その原因は、人と話すときに思いやりに欠けていて、人を傷つけていたことにあるのではないかと、最近、家族に指摘さて、25歳で初めて自分の欠点に気がつきました。こういう性格を直そうと相手を気遣うように心がけているのですが、どうしてもぎこちない会話になってしまいます。人を傷つけずに話すコツや相手に嫌われず楽しませるコツを教えてください」(匿名希望)

リリー:この人は、家族からお前のものの言い方はよくないよって言われたってことなんだけど、どんな言い方をしてたんだろう。「失せろ、バイタ!」みたいな感じかなあ?「お袋とヤッてろ!」とか(笑)。

――マザーファッカーの直訳(笑)。

リリー:でも、適度の毒っていうのは会話の面白さには必要だからね。特に男の子は。

――徹底した、いい人って困りますよね。

リリー:むしろ、悪意を感じるよね(笑)。まったく毒のない会話を100%成立させる人って、絶対、何かを売ろうとしてるでしょ。

―高い鍋とか洗剤とか(笑)。

リリー:よく「面白い会話教室」みたいなところでなにを教えてるのかって思うんだけど、たぶん相手の話をよく聞いてちゃんと答えてあげる、みたいないわゆるデート術でしょ? でも、男でそういう話し方するヤツって面白くないよね。

(中略)

――「人を傷つけずに話すコツや相手に嫌われず楽しませるコツを教えてください」っていうことなんですけど、それについては?

リリー:それは無理だよ。

――ダハハハ! 無理ですか(笑)。

リリー:だって会話をしていれば、絶対に相手が気に入らないことも少しは出てくるから。でも、絶対に同じ波長の人はいるよ。気を遣わないでも楽しく話せるような人が。

――リリーさんは他人に気を遣ったりします?

リリー:するよ。酔ってると特にいろんな人に冗談を言って、次の日に「ああ、変なこと言っちゃったな…」って心配したり、その後、気を遣っちゃったりすることがすごいある。まあ、なにを言っても冗談を言っているわけだから、そのことに目くじらを立ててほしくないけど、そんな自分の気持ちが伝わってないような人もいる気がする。だから、ノリが合う人同士じゃないとキツイ場合があるよね。

――とりあえずは自分とノリが合う人を探せ、と。

リリー:でも、こういう意識がある人は大して人を傷つけてないと思うけどなあ。…実際、コイツに会ったらひどかったりしてね。

――ダハハハ! ジカに呼んでみたらスゴかったり(笑)。

リリー:「おい、そこの死にかけ、スカしてんじゃねえぞ!」って感じで、あいさつからいきなり失礼だったりして(笑)。そりゃ親も言うな、みたいな。

――そうなると、親の教育から問題だったんじゃないかってことになりますよね。

リリー:そりゃそうだよ。親も指摘するのが遅えよって話だよ(笑)。】

〜〜〜〜〜〜〜

「人を傷つけずに話すコツや相手に嫌われず楽しませるコツを教えてください」
 この質問をする相手として、リリー・フランキーさんが「適切」かと言うと、かなり疑問ではあるのです。だって、少なくとも僕がテレビで観ているリリーさんは、「別に人に嫌われたってしょうがないや」という感じでいつも喋っておられるので。
 でも、確かに「25歳まで気づかなかった(あるいは、誰も指摘しなかった)のかよ!」と考えてしまう話ではありますよね。僕もリリーさんが仰っておられるように「こういう意識がある人は、大して人を傷つけてないと思う」し、年齢のわりに自意識過剰なだけなのではないかなあ、という気もするのですけど。
 このリリーさんの「回答」のなかで印象深かったのは、【だって会話をしていれば、絶対に相手が気に入らないことも少しは出てくるから。でも、絶対に同じ波長の人はいるよ。気を遣わないでも楽しく話せるような人が。】という部分でした。まあ、問題のすり替えと言えなくもないのですが、リリーさんは「他人を傷つけない会話術を身につけようとするよりも、素の自分でラクに話せるような相手を見つけたほうがいい」とアドバイスされているのです。確かに「万人に通用する会話術」をマスターするには、人生はあまりに短すぎるのかもしれません。

 僕がネットをやっていて感じるのは、人間の「性格」とか「話しかた」なんていうのは、その人の置かれた状況や受け手がどんな人かによって、全然評価が違ってくる、ということなのです。大勢の「理論家」の人たちが難しい話とか「論理的思考」を「人気ブログ」に書かれているのですが、あんな高度なことを緻密にチクチク書いて容赦なく他人を責めたてるような人と直接会って話をして楽しいか?とか、友達になって心地よいか?と言われると、僕は考えこんでしまいます。いやもちろん、彼らが友達の前でもそういうキャラクターだとは限らないのですけど、ディスプレイ越しに多くの人に「支持」されるキャラクターと、日頃接する友達として望ましいキャラクターというのは、必ずしも同じものではないんですよね。仕事とか付き合いとかでどうしても適応せざるをえない場面はあるとは思うのですが、それ以外は、むしろ、「相手に自分を合わせる」ことに消耗しきってしまうよりも、「自分に合った場所を見つける」ことのほうがはるかに有意義な場合も多いはずです。実際は、本当に「ノリが合う」相手かどうかというのもなかなか判断が難しいところがあるし、最初は合うと思っていた人でも時間が経つにつれてズレが目立ってきたり、その逆の「意外といいヤツだった」というパターンも少なくないのですが。
 とりあえず、「結果を恐れて黙っているだけでは、何もはじまらない」ということだけは、間違いないのでしょうけど。