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2006年10月07日(土)
「壊れたチャンピオン」皇帝シューマッハー

「Number.663」(文藝春秋)の特集記事「永久保存版・F1鈴鹿。」より、「皇帝の真価を問う〜ミハエル・シューマッハー『最後の戦争』」(赤井邦彦・文)の一部です)

【私は、シューマッハーがF1グランプリに進出する前から、いくつかの彼のレースを見る機会に恵まれた。ミカ・ハッキネンを負かしたマカオと菅生のレース。オートポリスで行われた世界スポーツカー選手権。たった一度のF3000レースであるスポーツランド菅生のレース。この中で菅生のレースにまつわる話は、現代のシューマッハーを彷彿とさせる。
 そのレースでシューマッハーは、後にF1ドライバーになるジョニー・ハーバートと同じチームで走るのだが、予選を控えた前日の夕方、シューマッハーはガレージに立てかけてあるクルマの床板を見つけた。表面を手で触ってみる。スムーズだ。チームのスタッフにこの床板はどちらのクルマのものか尋ね、ハーバートのものだと分かると、自分のクルマの床板と取り替えさせたという。少しでも表面がスムーズな方が抵抗なく空気が流れるから、というのがその理由だ。
 この行為が、今もなおシューマッハーを語る上で焦点になるポイントを含んでいる。それは二つの意見に分かれる。一つは勝利への貪欲なアプローチであり、他の一つは自らの要望を満たすためには他人の権利を奪い取ることを平気で行う我が儘だ。前者は称えられ、後者は非難される。しかし、彼の周囲を取り巻くスタッフは称えこそすれ非難はしない。それぐらいの貪欲さがなければチャンピオンにはなれない、と。そして、その評価は決して間違ってはいなくて、後にシューマッハーはF1グランプリでチャンピオンになるが、ハーバートはなれなかった。】

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 日本ではあまり聞こえてこないのですが、ヨーロッパでは、「皇帝」ミハエル・シューマッハーの引退発表とともに、「彼は『壊れたチャンピオン』だ」というような中傷記事が多数噴出しているそうです。シューマッハーを非難する人たちは、彼の「勝つために行ってきた数々のアンフェアな行い」と取り上げて、「その勝利に価値はあるのか?」と問うています。

 ここに例示された、シューマッハーがまだF1にステップアップする前の菅生のレースでの話なのですが、今の「絶対的ナンバーワン」である彼ならともかく、まだF1予備軍でしかなかった若手ドライバーとしては、あまりに「スポーツマンシップに欠けた行い」だと僕は思いました。自分の床板が傷んでいるのを替えさせたというのならともかく、チームメイトのものと交換させたわけですから、「自分が勝つためなら、チームメイトの『権利』すら奪い取ってしまう」ということなのですから。こんなヤツと組むのは、まっぴらごめんだなあ、と。もちろん、これは、あくまでも「シューマッハーの勝利への執念を示す一例」でしかないわけですし。
 でも、シューマッハーを擁護する周囲の人たちが語るように、「そのくらいの貪欲さがなければ、チャンピオンになれない」というのも、まぎれもない事実なのかもしれません。少なくとも、そこで妥協したりチームメイト(そもそも、F3000のチームメイトなんて、彼にとっては単なるライバルのひとりに過ぎなかった、とも考えられます)に遠慮したりするようでは、彼は「優秀なF1ドライバーのひとり」でしかなかったかもしれないし。
 こうして、シューマッハーの「壊れている」面を人々が語るのは、彼が「偉大なチャンピオン」だからというのも事実です。この菅生のレースの話に出てくるジョニー・ハーバートというドライバーは非常に才能があって、性格も明るい「ナイスガイ」なドライバーとして知られていましたが、今では、ハーバートのことを記憶しているのは、一部のF1フリークくらいのものでしょう。もし、シューマッハーとハーバートの「勝利への執念」が入れ替わっていたら、現在フェラーリに乗っていたのは、ハーバートだった可能性もあるのです。

 ちなみに、ハーバートは、後にF1のベネトンで再びシューマッハーとチームメイトになり、2度の優勝も果たしていますが、あまりにチームが「シューマッハー中心」であったため、わずか1年でチームを去ることになってしまいました。なんかもう、ひたすらシューマッハーの踏み台にされてしまったようなレース人生。

 「勝利に貪欲でありすぎるドライバー」ミハエル・シューマッハー。
 「そんな勝利は無意味」なのか、「勝たなくては意味がない」のか?
 答えが出ないまま、偉大なる皇帝の「引退」のときは、すぐそこに迫ってきているのです。