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2006年10月06日(金)
「アウシュヴィッツの看守」とその娘

「三四郎はそれから門を出た」(三浦しをん著・ポプラ社)より。

(ヘルガ・シュナイダーさんの『黙って行かせて』(高島市子、足立ラーベ加代訳・新潮社)という作品についての三浦さんの感想の一部です)

【自伝小説『黙って行かせて』の著者、ヘルガ・シュナイダーは、第二次世界大戦が終結したとき、十歳にもなっていなかった。だがそれから何十年も経って、戦争と深く向き合わなければならなくなった。彼女の母親がバリバリのナチで、かつてアウシュヴィッツの看守としてユダヤ人を殺しまくっていたからだ。
「党に忠誠を誓った」母親は任務を遂行するため、ヘルガが四歳のとき、家族を捨てて出ていった。収容所で「勤勉に」ユダヤ人を殺していた母親は、いまは年老いて老人ホームに入っている。ヘルガは何十年も没交渉だった母親に会いに行く。収容所で何をしたのか、自分の過去の行為をどう考えているのか、そして、かつて捨てたっきりの娘のことを思い出すことがあったのか、問いただすために。
 ヘルガの母親が語る収容所の様子、そこで為された事柄は、残酷という言葉では足りないほどだ。しかしそれは、いままでにも多くの書物や映像が伝えてきた。この『黙って行かせて』が暴いた一番の戦慄の事実は、ヘルガの母親がまったく悔いていない、ということだろう。母親はいまでも、総統の栄光を信じている。ユダヤ人は殲滅すべきだと信じている。その「信念」を前にして、娘のヘルガは憤りと深い虚脱を味わう。
 この親子は、一度も心がまじわることがない。戦争によって決定的に損なわれた彼女たちの関係は、何十年経とうとも、修復不可能なままだ。黒い夜の霧が、時間の彼方からいまも滲みだしつづけている。
 救いはどこにもない。唯一の希望の光は、この本が書かれ、私たちはそれを読むことができる、ということである。】

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 「感想の感想」を書くより、直接この本を読んでみるのがいちばん良いのだとは思うのですが、この三浦さんの感想を読んだだけでも、いろいろなことを考えさせられました。
 僕は子供の頃、「戦争体験」を喜々として語り、「戦友」たちとの思い出話に花を咲かせる「戦争から戻ってきた人たち」に対して、すごく嫌悪感を抱いていました。「戦争って人殺しのはずなのに、そんなに自慢げに話すようなことなの?」って。
 でも、今から考えると、彼らは「戦争」という辛い体験をした上に、自分たちが必死でやってきたことが「絶対悪」だと世間で判断されてしまっていることが、とても不安だったのだろうなあ、と思うのです。戦争なんて戦場の一兵卒たちにとっては「自分の任務をこなす」ことだけで精一杯で、「アメリカ・イギリス側」も「日本・ドイツ側」も、前線の兵士たちがやっていたことにそんなに違いはなかったはずです。「勝ち組」に属していたから、やったことが「英雄的行為」になり、「負け組」に属してしまったがために「戦争犯罪」になってしまっただけのことで。

 ここで書かれている「ヘルガのお母さん」は、現代に生きている僕の感覚からすれば、本当に「酷い人」です。小さな子供を捨てて、ナチの「手先」としてユダヤ人たちを虐殺した挙句、何の「反省」もしていないというのは、「それでも人間か!」と言ってやりたいくらいです。
 しかしながら、その一方で、「ヘルガのお母さん自身にとっては、その時代の『正義』に殉じただけ」であるとも考えられるんですよね。ユダヤ人虐殺は、人類にとって忘れてはならない「人道に対する罪」であるとしても、それを行っていた当事者には「悪意」はなかった。むしろ彼女は「ナチスに忠実なドイツ人」でしかなかったのです。
 多くの人は、戦争のあと「改心」して、新しいドイツを作り上げました。でも、すぐに改心できた人というのは、逆に言えば「要領が良い人」や「利に敏い人」だったのかもしれません。その「罪の大きさ」が大きければ大きいほど、それを「悪いこと」だと認めてしまうと自分を見失ってしまうでしょうし、そういう「認めたくない気持ち」は、ナチスに忠実であった人ほど強かったはずです。
 もし平和な時代で、ヘルガのお母さんの「意志の強さ」が本人や家族の幸せを実現するために用いられていれば、すばらしい妻や母親、ドイツ人として彼女は一生を終えられた可能性も十分にあったのです。あるいは、もしドイツが戦争に勝っていたら、彼女は「英雄」だったかもしれません。

 どんな酷いことをやっていたとしても、やっぱり、親は親。本当に、どうすればいいのだろう、としか言いようがない現実に、僕も打ちのめされてしまいました。映画やドラマなら「娘との再会で改心してもとの優しい母親に!」ということになるのかもしれませんが、現実はそんなに簡単じゃない。
 戦争が人類に遺していくものは、不発弾や地雷や放射線だけではない。それだけは、間違いないことです。