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2006年09月29日(金)
「ミッキーマウスの保護」と「星の王子さまの解放」と

「週刊SPA!2006.10/3号」(扶桑社)の鴻上尚史さんのコラム「ドン・キホーテのピアス・586」より。

(鴻上さんが、弁護士の福井健策さんが『中央公論』に書かれた「著作権」に関する文章を読んで考えたこと)

【福井さんによると、今、著作権の世界では、廉価版のDVDの品質問題や訴訟問題(1953年問題と呼ばれたりしています)などがありますが、一番、問題なのは、「期間一律20年延長問題」なんだそうです。
 以下、福井さんの文章を僕なりに紹介・理解すると――。
 アメリカは、映画の著作権を、1978年に19年間延長して、さらに'98年にはまた一律に20年延長しました。現在、映画は、公表後70年ですが、このままいくと、また20年後の2018年には、20年の延長をするだろうと予測されています。
 いえ、ひょっとすると、いきなり、「映画の著作権は、永遠に切れない」と宣言するかもしれません。
 アメリカは、ミッキーマウスの登場する映画を、パブリック・ドメインにすることはないだろうと予測できます。そんなことを、認めるはずがないのです。
 それは、もちろん、映画がアメリカの重要な「輸出品」だからです。これは、ヨーロッパでも同じです。
 文化が重要な輸出品である限り、それを手放すわけにはいかないのでしょう。
 で、著作権は、輸出元の現地の法律に従うので、日本も発表後70年にしないとまずいと、圧力をかけてきたのです。結果、日本でも、映画は、2年前に公表後50年から70年になったのですが、今、日本では、映画以外の著作物の著作権が、「クリエイターの生前全期間と死後50年間」から、「クリエイターの生前全期間と死後70年間」に延長されそうになっています。動機は、もちろん、欧米の外圧です。
 欧米では、'90年代に、一律20年間延長しました。結果、文学や音楽などの著作権は、作者の死後70年になりました。日本もこれに従えというのです。
 日本は、来年中に結論をだすと約束したそうですが、これに対して、福井弁護士は、「欧米主導の期間延長路線に追随するか、別な著作権のあり方を世界に発信できるのか、日本はよほど慎重にとるべき道を考えた方がよい」と書きます。
 どうして、死後70年に安易に賛成しない方がいいのか?
 福井弁護士は書きます。
 著作権の保護期間が20年間、延長されることで死蔵作品が増加するだろう。「文学であれ音楽であれ、多くの作品は市場でそう長生きはできない。50年後も経済価値を維持できる作品は全体のほんの2%であるという指摘もある」。
 つまりは、出版しても売れないから死蔵する。著作権が切れていれば、インターネット上にパブリック・ドメインとして公開することも(『青空文庫』という優れた活動があります)可能なのに、著作権の保護期間が続いていれば、それもできなくなる。
 けれど、売れないから価値がないのかというと、「歴史・文学の再発見」という意味で、その価値は計り知れない。(死後、評価が高まった作家は、たくさんいます)けれど、そもそも、アクセスできなければ、その価値を発見することもできないのです。
 欧米は、売れる映画を守ろうとして、最初は、14年〜28年だった著作権を70年まで延ばしました。結果、ビデオにもDVDにもならない、私たちがアクセスできない死蔵の映画が増えたのです。
 その映画に、はたして価値がないと言えるのか?
 そして、もうひとつの問題。私たちは、先人の文化を受け継ぎ、改変し、読み直して、作品を作ってきた、この「創造のサイクル」が失われる可能性がある、と福井弁護士は書きます。
『レ・ミゼラブル』も『オペラ座の怪人』も著作権の切れた有名小説を元にミュージカルとして花開きました。ディズニー映画は、『ピーターパン』や多くの過去の物語に基づいています。こういうことができなくなる、というのです。 去年、書店には、『星の王子さま』が並びました。これは、著作権の保護期間が切れた結果です。ここから、また、素敵な何かが生まれるかもしれません。それは、著作権が切れて、パブリック・ドメインになったから可能なのです。】

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 去年、『星の王子さま』の新訳本が多くの出版社から一度に出たのは、こういった「事情」があったのですね。あの「新訳本」で初めてこの作品に触れたという人も、かなり存在したのではないでしょうか。しかしながら、同じように著作権の保護期間が切れてしまった作品というのは、それこそ毎年「星の数ほど」あるにもかかわらず、『星の王子さま』のように「保護期間終了後も商品として価値があると判断される作品」というのは、非常に希少なものなのです。福井さんは、【50年後も経済価値を維持できる作品は全体のほんの2%であるという指摘もある】と書かれているのですが、この「2%」ですら、かなり贔屓目の数字なのではないかと僕には思われます。現在書店に並んでいる本のうち、50年後にまだ商品として売られている作品なんて、今すでに定番になっている「名作」を除けば、ひとつの棚に一冊あれば良いほうなのでは……

 この度重なるアメリカの著作権延長は、「ミッキーマウス保護法」などと陰では言われているそうです。まあ、確かにディズニーにとってはミッキーマウスがパブリック・ドメインになってしまってはたまらないのでしょうが(もちろん、アメリカという国家にとっても非常に大きな「特産品」ですしね)、そのディズニーも、「人魚姫」や「白雪姫」のような「先人の作品」をアニメ化して繁栄してきたというのは皮肉な話です。「産業」になってしまえば、スタッフの生活もかかっているわけですし、クリエイターとしての矜持のために「じゃあ、みんなのものにしよう」というわけにはいかないというのもわかるのですが……
 ただ、その「ごく一部の作品」のために、「お金なんて要らないから、少しでも沢山の人に見てもらいたい」と作者本人も考えている作品がそのまま埋もれてしまう結果となっていることも事実です。著作権というのは、「相続人全員の共有」というのが原則なのだそうで、この「保護期限」が切れる前の作品を世に出そうと思えば、相続人全員の許可が必要になります。50年近く前の作品ともなれば、それこそ当事者すら知らないような「相続人」を探し回ったりしなければならない場合も出てくるわけですから、やっぱりそれは、かなりの「計算」ができるような有名作品でもない限り、「ワリに合わない」ことなのです。もし「著作権が永遠のもの」になってしまえば、それこそ「埋もれた作品」を発掘して紹介するのは、ほとんど不可能になってしまうのです。だって、100年前に亡くなった無名作家の「相続人全員」なんて、いくら少子化が進んだ社会でもそう簡単には探せませんから。

 「商品」にならないような作品は、もうすでに「無価値」なんだよ、と割り切ってしまうというのも、ひとつの考え方なのかもしれませんが……