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2006年07月13日(木)
「ジダン頭突き事件」の真実

asahi.comの記事より。

【サッカーW杯決勝で相手のイタリア選手に頭突きし、退場処分となったフランス代表主将のジネディーヌ・ジダン選手(34)は12日夜(日本時間13日未明)の仏テレビで「母や姉を傷つけるひどい言葉を繰り返され、耐えきれなかった」と釈明した。「ひどい言葉」の中身について自らは明らかにせず、真相究明は国際サッカー連盟(FIFA)の調査に委ねられる。ジダン選手が自身の行為について語ったのは初めて。
 ジダン選手は12日夕、仏の民放カナル・プリュスとTF1の看板キャスターによるインタビューに個別に応じ、その模様が両局のニュース番組で録画放映された。
 頭突きの原因となったマルコ・マテラッツィ選手(32)の「挑発」について、ジダン選手は「とても個人的なことだ。母と姉を傷つけるひどい言葉を繰り返された。1度や2度ならともかく、3度となると我慢できなかった」「言葉はしばしば(暴力)行為よりきつい。それは、私を最も深く傷つける言葉だった」と述べた。
 どんな言葉だったのかについて、同選手は「とても口には出せない」と伏せた。英紙がマテラッツィ選手の挑発として報じた「テロリスト売春婦の息子」との発言の真偽を問われると「まあそうだ」と答えた。ジダン選手はアルジェリア系移民2世。
 決勝の延長戦後半、ジダン選手はゴール前で激しいマークを続けていたマテラッツィ選手と言葉を交わした後、いったん離れかけたが、再び向かい合って頭突きを見舞った。ジダン選手によると、離れようとした後も同じ言葉を背中に浴びせられ、怒りが爆発したという。
 ジダン選手はまた「20億、30億人が見守る中での私の行為は許されないもので、特にテレビを見ていた子供たちに謝りたい。やっていいこと、悪いことを子どもに教えようとしていた人にも謝る」と語った。一方で「後悔はしていない。後悔すれば彼の言葉を認めることになるから」とも述べた。
 同選手はFIFAの調査に協力するとしたうえで「挑発した側も罰せられるべきだ」と審判の判断に注文。「W杯決勝の、しかもサッカー人生の終了10分前に面白半分にあんなことをすると思いますか」と、自らの怒りに理解を求めた。
 ジダン選手は、反移民を掲げるイタリアの政党幹部が「仏代表は黒人とイスラム教徒、共産主義者で構成されている」と発言したことにも触れ「私の行為より悪質ではないか」と批判した。
 マテラッツィ選手は伊スポーツ紙に、守備のためジダン選手のシャツを数秒間つかんだら「そんなにシャツが欲しけりゃ試合後に交換してやるよ」と見下した態度で言われ、ののしり返したと語っている。ジダン選手は「シャツ発言」を認めたうえで「誰も見下していない」と強調した。
 フランス国内では、国民的ヒーローの引退試合を本人が汚したことへの失望が尾を引くが、「彼の人間としての価値は変わらない。ジダンはジダンのままだ」(ドビルパン首相)との同情的な反応が優勢。61%が頭突きを「許す」とした世論調査(11日付パリジャン紙)もある。】

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日刊スポーツの記事より。

【各国メディアがビデオでマテラッツィの唇の動きの読みとり調査を行い、発言は家族と人種差別に関するものだということで、ほぼ特定されてきた。「プッターナ(売春婦)」と「テロリスタ(テロリスト)」というイタリア語が、両方とも含まれるという。ジダンはイタリアで5年プレーしているため、イタリア語が理解できる。暴力による報復は否定されなければならないが、母が緊急入院した状況で「売春婦」という言葉を投げかけられたとしたら、感情的になってしまうのもうなずける。

 母には恩がある。14歳でカンヌのスカウトに見いだされたとき、マルセイユから離れることに父エスマイル氏は反対したが、母は賛同した。理由はカンヌ側が提示したホームステイという条件だった。「貧しいわが家では受けられない教育を受けさせてくれる。それだけでも、この子の将来のためになるはず」と送り出した。この母の決断がなければ今の自分がなかったことを知っている。気丈に送り出した母は、ジダンの姿が見えなくなると同時に3日3晩泣き続けたという。
 しかも、そのときの恩人であるカンヌ元スカウトのジャン・バロー氏が、決勝トーナメント直前に他界した。重なったニュースが、ジダンをナーバスにさせていたかもしれない。】

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 「日刊スポーツ」の本紙の記事には、試合中にマテラッツィにユニフォームをつかまれたジダンが「そんなにユニフォームが欲しいなら、試合が終わったらくれてやるから」と言ったことがきっかけだったと書かれています。
 そのジダンの言葉に「見下されている」と感じたマテラッツィが、「暴言」を吐いたのだとか。また、スポーツニッポンでは、【マテラッツィは、ジダンの母親を侮辱したという報道に関しても反論。14歳の時に母親を亡くしているだけに「あいつのお母さんをバカにした覚えもない。母親は聖なるものだからね」と語った】そうです。
 もし、これらの言い分が事実であるならば、同じプロのサッカー選手であり、しかも、イタリア代表という「超一流」選手であるマテラッツィが、「いくらジダンだからといって、俺をバカにしやがって」とカッとなって「暴言」を吐いたとしても、それはそれで理解できるような気もします。いや、僕のようなワールドカップ期間限定のにわかサッカーファンにとっては、「ジダンのほうが圧倒的に格上」なのですが、当事者の考えというのは、また別の話。試合の最中に「ああ、憧れのジダンだ…」なんて思っているような、闘争心のない選手は、ああいう場には出てくることはできないはずです。
 いままさにワールドカップ優勝を争っている相手チームの選手に、こんなふうに茶化されたら、もともとかなり血の気が多いマテラッツィとしては、ついカッとなってしまっても不思議はないような気がします。
 ジダンだって、「これが最後の試合だから」という「引退モード」に完全になっていれば、どんな暴言を浴びせられても我慢できていたはずで、ジダンにとっては、ワールドカップの決勝戦も、自らの引退試合も、「闘わなくてはならない、目の前のサッカーのゲーム」でしかなかったのかもしれません。だからこそ、ジダンは大舞台で数々の「伝説」をつくることができたのです。

 僕はジダン選手のファンですし、彼があんな行為でレッドカードを喰らって現役最後の試合を終えてしまったのは、本当に悲しかったです。仮にジダンがあのまま最後までプレーをして試合が終われば、勝ったのがどちらのチームであっても、ジダンの「伝説」は、心地よい形での幕切れになったことでしょう。そもそも、今大会でのフランスの快進撃を支えてきた大きな柱はなんといっても復活したジダンで、グループリーグで韓国と引き分けた試合のフランスの体たらくでは、「予選で敗退してしまうのではないか」と感じた人も多かったはずです。しかしながら、「これがジダンのラストゲームになるのではないか」という周囲の予想に反して、スペイン、ブラジル、ポルトガルという強豪を、「終わった」はずのフランスが、次々と打ち破っていきました。考えてみれば、決勝まで進んできたことが、すでに「奇跡」みたいなものだったのです。

 あの「頭突き」事件は、確かに「ワールドカップの汚点」とも言うべきものですし、スポーツマンとしては、褒められたものではありません。
 ただ、さまざまな報道で得た情報からすると、ジダンは、決勝戦の直前の母親の緊急入院や恩師の死によるショック、そしてもちろん、ワールドカップの決勝という舞台や自分の引退試合ということへのプレッシャーを抱えながら、あのグラウンドに立っていたのだと思います。そして、なかなか試合を決められず、自らも決定的なチャンスにゴールを挙げられずに苛立っていたところに、あのマテラッツィの「暴言」。しかも、その内容が、緊急入院していて、ジダンにとっては大きな心配事である、母親の悪口だったとしたら……
 
 たぶん、マテラッツィは、「酷いこと」を言ったのでしょう。
 ただ、僕が思うに、その「暴言」の内容というのは、マテラッツィにとっても、ジダンにとっても、そんなに珍しい内容ではなかったような気がするのです。いくらマテラッツィが「トラブルメーカー」だからって、「ワールドカップ決勝用の、特別に酷い悪口のネタ」なんていうのを仕込んでいたとは思えませんから。そして、そういう「暴言」を吐いてきたのは、マテラッツィだけではないはずです。しかしながら、あの場面での、あの内容の「暴言」は、ジダンの「逆鱗」に触れてしまったのです。それは、マテラッツィにとっても「予想外」(あるいは、「予想以上」)だったことでしょう。

 あの「ジダンの頭突き」が起こった「直接の原因」というのは、マテラッツィの「暴言」だったのかもしれませんが、おそらく、その「暴言」に過剰な反応を示してしまうくらい、ジダンは精神的にギリギリのところで闘っていたのでしょう。
 逆に、「母親の入院」「恩師の死」「決勝の舞台」「引退試合」というような「背景」がなければ、同じことを言われたとしても、マテラッツィの「暴言」に対して、ジダンはああいう形での「復讐」を選ばなかったと思うのです。
 マテラッツィからすれば、「きっかけはジダンが自分をバカにしたことだし、あのくらいの悪口で暴発するほうがおかしい」というのが、自然な感覚なんですよね、きっと。彼は、今までと同じような「暴言」を吐いていただけなのだから。そして、ジダンの母親の入院のことを知っていたら、いくらなんでも、「母親の悪口」は、言わなかったと思います(というか、そう思いたい)。

 この「事件」には、本当にいろいろなことを考えさせられました。
 今まで僕が他人に対して「なんでこんなことで怒るんだ?」と感じ、その人を「怒りっぽい、心の狭い人」だと判断していた事例のなかには、おそらく、その相手にも「そこで怒るだけの事情」があったことも多かったのではないか、と。もちろん、その相手が、その「事情」を僕に伝えてくれるとは限らないし、その「事情」そのものが、僕には関係のないこともあるでしょうけど、人は、自分が知らないところで、本当にたくさんの他人を傷つけているのです。
 身内が病気で明日をも知れない状態であれば、苛立ったり、落ち込んでいるのは当然のことですし、長年付き合っていた恋人に振られた直後であれば、元気がなかったり、集中できないのも自然なことです。でも、僕たちはそこで、自分がしたことと相手のリアクションだけを比較して、「なんでこんなことで怒るんだ?」としか思えない。
 僕たちが、車を猛スピードで飛ばしてスッキリした、なんて話しているのを偶然聞いて、交通事故で子供を亡くした人が、心の中で泣いて、憤っていることだって十分にありえるのに。

 あまりいろいろな「背景」を考えすぎると、最後には「沈黙」しか残らなくなってしまいます。ただ、あの「退場劇」は、「どちらが悪い」というよりは、「人と人というのは、お互いにあんなふうにすれ違って、たいして悪意もないのに傷つけあって生きているのだ」ということの一例であるような気がしてなりません。
 おそらく、彼らの人生には、ジダンがマテラッツィの立場だったこともあれば、マテラッティがジダンだったこともあったはずです。

 僕たちも、あるときはジダンであり、あるときはマテラッツィなのですよ、きっと。