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2006年05月17日(水)
小説と戯曲の一番の違いはなんですか?

「週刊SPA!2006.5/16号」(扶桑社)の鴻上尚史さんのコラム「ドン・キホーテのピアス・567」より。

【小説と戯曲の一番の違いはなんですか? とインタビューされました。
 すぐに、「はい、小説は時間を気にせず書けるので、楽です」と答えました。
 戯曲は、時間との闘いです。
 僕は、いつも、400字詰め原稿用紙210枚前後で、ひとつの芝居を書きます。これを、びゅんびゅんの速度で上演して約2時間です。が、1時間58分と2時間4分では、作品の印象が大幅に違うのです。
 戯曲やシナリオの場合は、「ストーリーを考える」ことと「自分を考える」ことが同時に要求されます。
 ところが、小説の場合は、ここまで厳密ではないはずです。400字詰めで250枚を235枚にどうしてもしなければいけない必然は、そんなに強くないと思います。
 シナリオや戯曲は、「時間とのパズルゲーム」なのです。
 よく映画評や劇評で「登場人物のキャラクターが明確ではない」なんて文章がありますが、キャラクターなんてものは、原稿用紙の枚数をいっぱい使えば、いずれは明確になるものです。
 問題は、いかに短い時間で、そのキャラクターを明確にするか、ということです。で、2時間以内の映画や演劇は時間がないので、複雑なキャラクターや特異なキャラクターを、たくさん描くことができないのです。
 小説では、比較的、キャラクターを描ける余裕があると思います。そこが、うらやましい点です。
 が、シナリオや戯曲には、自分の言葉の反応を直接確かめられる、という醍醐味があります。】

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 鴻上さんは先日初の小説『ヘルメットをかぶった君に会いたい』を上梓されたそうです。その「小説執筆体験」からの「小説と戯曲の違い」について、こんなふうに書かれているのです。
 もちろん、小説家たちだって、言葉のリズムとか全体のテンポなどを考えているはずですし、まったく「時間」について無頓着ではないはずです。いくらキャラクターを描く余裕があるとはいっても、あまりに説明的な文章が延々と続けば、読書家たちだって、そっぽを向いてしまうに決まっていますから。
 それでも確かに、ここに書かれているように「分刻み」で「読むのに必要な時間」や「1冊の作品におけるページ数」にこだわっている作家というのは、そんなにいないと思われます。

 一気に読む人もいれば、毎日少しずつ読む人もいるという「小説」に比べて、シナリオや戯曲というのは、リアルタイムで展開されていくものです。受け手が理解できなかったからといって、前にさかのぼって観なおすことはできないし(正確には、ビデオやDVDなら、「巻き戻す」ことも可能ではありますが)、どんなに素晴らしい作品でも、上演時間があまりに長いと、観るほうも間延びしてしまいます。観る側の集中力というのも、そんなに長続きするものではありませんから。一生懸命観るのも、けっこう疲れるものなのです。
 そういう意味では、「シナリオや戯曲」というのは、「制約」が多い代わりに、うまくハマれば、その場にいる人たちの「時間」をも支配できるという魅力があるのかもしれません。
 逆に「小説」というのは、読む側にとっては、自分の好きな場所や時刻に、自分なりの時間をかけて読めるという自由度があるのもひとつのメリットなのですよね。僕がページをめくらないかぎり、世界は動かない。

 同じ「文章で世界を構築する」という行為に見えても、その性質というのは、けっこう異なる面も多いみたいです。もちろん、共通しているところも多いのですけどね。
 確かに、有名な作家は必ずしも有能な脚本家ではないし、逆もまた然り、だものなあ。