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2006年05月12日(金)
「生きていくっていうのは、満員電車に乗るようなもの」

[毎日かあさん3〜背脂編」(西原理恵子著・毎日新聞社)より。

(この本に収録されている、西原さんと「アンパンマン」でおなじみの漫画家・やなせたかしさんの対談の一部です)

【西原:私、自分のことを「スキマ商品」って言っているんです。少年ジャンプで一番になるとか、そういうのは最初から無理ですから。自信があったらミニスカパブにもエロ本にも行ってません。絵だけだと自信がないから、字も書いちゃえ、とか。

やなせ:「上京ものがたり」なんて、絵より文章が多いからねえ(笑)。でも、僕はあの作品がとくに好きだ。何かしら「西原風」というものが出来ている。
 生きていくっていうのは、満員電車に乗るようなものでね。その中で自分の席を見つけるということなんですよ。満員でも、まず無理やり乗っちゃうこと。そして、降りたらダメ。乗ってさえいれば、貧乏でも何でも、必ず糧になる。ミニスカパブも、夫と別れるのもね(笑)。
 僕は漫画はずーっと売れなくてね。「アンパンマン」も50歳過ぎてからですから。それでも、ずっと書いていました。家に閉じこもって、何の目的もなく書いていた。ダメになる人を見ていると、書いていない。書かずに理屈ばっかり言ってる。売れなくて時間があれば、そのぶん書けるじゃない。だから「仕事が来たら書く」というのはダメなんだ。来なくても書いてなきゃ。電車を降りさえしなければ、少なくとも終点近くでは席は空くもんだ(笑)。

西原:私なんか、席が空くのを待てずに、勝手に補助席出しちゃった(笑)。そのスキマの席で認められたから、安心は生まれましたね。ただ、さっきの先生の話じゃないけど、それでダメになったと言われることがありますし、自分でもダメになっちゃうのかなあ、と。】

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 漫画家というのは、早熟の天才が多い職業ですから、やなせさんのように50歳を過ぎてから大成功を収めるという人は、ごく稀な例ではあるのです。だからこそ、「見切りをつけて降りてしまう」人も多いので、「満員電車から降りなかった人」である、やなせさんの言葉には非常に重みがあると言えるでしょう。
 もちろん、満員電車に乗り続けたからといって、すべての人に席があるわけではありません。とくに、表現の世界というのは、終点に向かっていくのではなくて、山手線みたいな環状線なのではないか、という気もするのです。
 どんなに席が空くのを待っていても、次から次へと新しい人が乗ってきて、結局、いつまで経っても「座れない人は、座れない」のではないか、と。
 それでもやはり、降りてしまっては、そこでおしまい、なんですよね。

 やなせさんは、この話のなかで、【ダメになる人を見ていると、書いていない。書かずに理屈ばっかり言ってる。】と厳しいことを仰っておられますが、確かにその通りなのです。人は、他人から評価されないとやる気を失ってしまいがちだけれど、そこで不貞腐れてしまっても、何のプラスにもなりません。他人の文句ばかり言っていても、自分の作品がよくなるわけでもないのですよね。
 待たなければならないこともあるけれど、待っているばかりではチャンスは来ない。チャンスの女神には前髪しかない、なんて言いますし。実際は、どこが前髪だかわからないまま、女神は通り過ぎていってしまう場合も少なくないのですが。

 ただ、やなせさんや西原さんは、あくまでも「成功した人」であって、本当に席が空くのを待って満員電車に乗り続けるのがいいのか、補助席を出そうとしてみたほうがいいのか、席が空きそうもなかったら空いていそうな他の電車に乗り換えたほうがいいのか、あるいは、そこまでして電車に乗る必要があるのか? 正直、僕にはその「正解」が、よくわかりません。

 いつか終点に近づいて自分の番がまわってくるはずの電車が環状線で、もう、乗り換える時間の余裕もなくなっていたとしたら……
 それって、「悲劇」だとしか言いようがない話ですよね。
 それとも、「いつか座れる」と思って乗り続けることそのものが「幸せ」なのだろうか?