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2006年04月29日(土)
「通訳」すればいいってものじゃない!

「オシムの言葉〜フィールドの向こうに人生が見える」(木村元彦著・集英社インターナショナル)より。

(「オシム語録」で有名なジェフ市原のオシム監督の半生とサッカー観を著した本の一部より。ジェフユナイテッド市原・千葉の通訳である間瀬秀一さんの話です)

【最初に監督の通訳をやる上で、関係者から言われたのは、通訳の中には立場を誤解して自分が監督みたいに振る舞ったり、命令したりする人間がいるから、そこは気をつけて欲しいということでした。
 だから、当初はマシーンじゃないけれど、監督の言ったことをただ訳して、選手に伝えていたんですよ。でもね、それじゃあ、やっぱり絶対伝わんないんですよ。
 監督が何かを言う。で、100パーセント、日本語で伝える。伝わったはず。なのに、選手ができない時がある。てことは、伝えたことになってないんですよ。
 意味は伝わっているんですけど、意図が伝わっていない。選手が理解できなかったり、動けない。ああ、これは、もうダメだなと。
 例えば、気持ち的にモチベーションをそれで上げられなくて、選手ができないのか。技術的に足りなくて、できないのか。でも、やってなかったら、僕が怒られるんですよ。
 そこで、思ったんです。この仕事って、通訳じゃないなと。そこで、やり方、変えたわけですよ。
 言ったことをやらせないと勝てないですから。極端に言うと、通訳としての指導力と言うんでしょうか。言葉を訳す力だけじゃなくて、どうすれば選手ができるようになるのか、そこら辺のやり方を考えました。
 前も話しましたけど、僕はいろんな国でいろんな監督を見てきましたけど、この監督は本当にすごいなと思うし、この監督のサッカーが実現できたら、絶対チームが強くなるという確信があるんです。
 だから、まず伝わるように訳す。例えば監督がギャグを言う。そしたら、絶対笑わしてやる。
 監督がことわざを言ったら、絶対、聞いている人を「おおーっ」と言わせてやる。じゃないと、監督が僕に不信を抱くじゃないですか。なぜ、俺、ギャグ言っているのに、笑っていないんだって。
 で、もちろん、内容は変えてないですけど。分かりやすい言い方とかはしているかもしれない。
 オシム語録の凄さに気づいたのは? いや、今でも気づいてないですよ。僕、一緒にいつもいるから。素晴らしい言葉、いっぱい言うし、それ、普段から聞いているから、普通なんです。それが日常だから、なんか、これってすごいこと言った、ていう気がしないし、僕もうまく訳したと思ったこと1回もないんです。
 だから僕、オシム語録とか、アップされても絶対見ないんです。覚えてないこともありますから。
 難しいのは、雑誌の取材とかしていて、最初は監督の言ったことをそのまま全部訳せばいいなと思っていたんですよ。でも、その中で、僕にだけ言っている時があるんです。
 でも、「まぁ、お前にだけ言うけどな」とか、そんなこと言わないから、これは訳すなよと察知する。監督は、僕に通訳としての訳し方を注文したことは1回もないですよ。こういう時はこう訳せ、こういう時はこうだ、それは、ないけど、暗黙の了解が何通りもあるんです。こういう時は、この人間には聞こえるように言うけど、あそこにいる人間には聞こえないように言うとか。】

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 間瀬さんは、自らもプロサッカー選手として、いろんな国を渡り歩いてサッカー人生を送ってこられた方なのだそうです。これを読んでいると、確かに、サッカー経験のない人が、「言葉がわかる」という理由だけで通訳になるのはムリだろうなあ、ということがよくわかります。
 直接言葉が通じない(ことが多い)外国人がチームの監督の場合には、「通訳」というのは、本当に重要な存在みたいです。確かに、静かな会議の席などの通訳とは違って(いや、あれはあれで難しいところもたくさんあるのでしょうけど)、サッカーの監督の通訳の場合は、内容の正しさだけでなく、そのニュアンスといか「言葉の熱さ」みたいなものまで一緒に伝えなければ、「伝えた」ことにはなりませんから。
 「ここが踏ん張りどころだ、あきらめずに走れ!」という監督のゲキに対して、物静かに「あきらめずに走ってください」なんて通訳が喋っていたら、なんだかもう、選手もぐったりしてしまいそうですし。そういえば、あのトルシエ監督の通訳のダバディさんは、かなりオーバーアクションのイメージがあって、「いやいや、君は通訳だろ?」なんて僕はいつも思っていたのですが、実は、あれも「通訳」としての仕事だった、ということなのですね。
 あのトルシエの言葉のニュアンスを正しく伝えるには、あのくらいのアクションは必要だったのでしょう。
 そして、「ここはオフレコで…」なんていちいち断らなくてはいけないようでは、監督の通訳としては修行が足りない、ということなのでしょうね。

 「通訳」というのは、イメージよりもはるかに大変で難しいけれど、やりがいもある仕事のようです。こういう話を聞くと、「立場を誤解して自分が監督みたいに振る舞ったり、命令したりする人間がいる」というのも、頷ける話ではあるのです。