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2006年04月20日(木)
私が「漫画原作者」をやめた理由

「封印作品の謎2」(安藤健二著・太田出版)より。

【さらに、この章で取り上げた水木杏子にしても、現在は漫画原作者をやめている。きっかけは『キャンディ』の原作に書かれたあるシーンが、漫画に描かれた時点で無断で変えられていたことだったという。人気キャラクターの1人、ステアが第一次世界大戦に志願し、空中戦で撃墜される印象的なシーンだ。漫画ではステアは、敵国の名パイロットと戦う中で友情を深め合ったあと、別の飛行機に撃たれるのだが、原作ではそうなっていなかった。ステアは、気を許したはずの名パイロットに撃たれているのだ。水木は、ある単行本のインタビューでこう回想している。

 まんがでは相手もステアに感動してるんだけど、戦争ってそんなに甘いもんじゃない、ステアがふっと相手に気を許したとき、その本人から撃たれてしまう……そう描きたかった。(略)ちょうどその時は海外に行っていて、いがらしさんのネームの相談にものれなかったし。私の責任でもあるの。でも、帰国してすぐ、激しい雨の降る深夜、ゲラを受け取って、もう直せないと言われてね……。帰り道、夫の車の中で、声をあげて泣いてしまった。ステアが死んで悲しかった……誰だか分からない人に、ステアを撃ってほしくなかったのよ。あのシーンは、まんが的にはよく描けていると思う。それはそれで認めつつ、あの雨の夜、車のワイパーと雨粒を見ながら、「もう原作の仕事はやめよう」って決心したのね。

        (伊藤彩子『まんが原作者インタビューズ』 同文書院)


 漫画原作者の難しい立場はここにある。原作者としての名誉や収入とは別に、作家性そのものを時に否定されかねないのだ。竹熊(健太郎)はこう打ち明ける。
「梶原一騎にしても、小池一夫にしても、なんで有名な原作者が一様にコワモテになっていくのかわからなかったんですよ。でも、自分でやってよくわかりました。ある意味、そこまでやっていかないと原作の個性ってなくなってしまう。漫画家にしても編集者にしても、たたき台にくらいにしか思ってませんから。それなのになぜ原作が必要とされるのかというと、無から作品を立ち上げるのは大変だから、何かよりどころになるストーリーの骨格というか設定が欲しいわけですよ。それから後は、それこそ『原作なんかいらない』なんてことになりかねない」】

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 「キャンディ・キャンディ」の原作者の水木杏子さんの述懐から。この話を読んでいると、確かに、漫画原作者というのは辛いなあ、と感じてしまいます。結局漫画家の手を経なければ、「作品」として認められないものを書いているわけですから。
 そういえば、伝説となった「あしたのジョー」の最終回は、原作者である梶原一騎さんが書かれた「原作」とは違うものなのだそうです。あの「真っ白になってしまう」ラストシーンは、漫画を描いていたちばてつやさんのアイディアによるものなのだとか。その話は、「美談」として語り継がれているのですが、原作者の梶原一騎さんにとっては、それが嬉しいことだったのだろうか?と、この文章を読みながら、僕は考えてしまいました。
 この「キャンディ・キャンディ」の1シーンで、水木さんが描きたかったことはよくわかります。「戦争」というものを踏み込んで描こうとするなら、この「気を許した相手に撃たれる」というのは、大きなメッセージ性を持っていると思うのです。でも、その一方で、漫画家のいがらしゆみこさんからすれば、やはりその描写は「自分の漫画としては、受け入れがたいもの」だったのですよね。確かに、「キャンディ・キャンディ」の主な読者である女の子たちには、それはあまりにも「生々しい」描写であるのかもしれません。水木さんは、「誰だか分からない人に、ステアを撃ってほしくなかった」けれど、いがらしさんは、「気を許したはずの名パイロットに、ステアを撃ってほしくなかった」のです。こういうのはもう、お互いの趣味の領分ともいうべきもので、どちらが正しいかなんて、誰にも決められません。でも、「キャンディ・キャンディ」という作品には、テレビゲームのように「2つのエンディング」を用意するわけにはいかなかったのです。
 「ちょうどその場にいなかった」こともあって、後世に「作品」として残ったのは、いがらしさんが描いたものとなりました。それは確かに、水木さんにとっては、「自分の『作家性』の否定」だと感じられたことでしょう。いちばん書きたかったところが、「改変」されてしまったのですから。
 
 確かに「たたき台」の有無っていうのは、なにかを創り出すときには、けっこう大きいものではあるのです。一度キャラクターができてしまえば自由に動かせる漫画家でも、必ずしもゼロから「魅力的なキャラクター」を生み出せるというものではないだろうし。
 でも、原作者からすれば、自分が書いている「作品」が単なる「たたき台」だなんて、認めたくないはず。
 そんなふうに考えてみると、そもそも、2人の「作家」がひとつの作品をつくるということそのものが「矛盾」なのかもしれませんね。

 ちなみに「キャンディ・キャンディ」は、現在、原作者と漫画家の軋轢によって、「封印作品」となっているそうです。