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2005年11月26日(土)
こんなに怖い奴見たことないと思ったのは、西川きよし。

「月刊CIRCUS・2005年12月号」の福田和也さんと石丸元章さんの対談記事「揚げたてご免!!」より。

【石丸:最近考えるんだけど、年上の立場の人が「威張る」のはいいことだと思うんだ。カラッとした気持ちのいい威張り方。

福田:本当はえらいのに慇懃丁寧な奴は気持ち悪いよね。こんなに怖い奴見たことないと思ったのは、西川きよし。吉兆をつくった湯木貞一が、「味噌汁はここにはかなわない」と言った大阪の福喜鮨という店がある。そこに西川夫婦が来ていて、鮨食べながら、「すみません、すみません。次、エビお願いします」って、職人に謝りながら食ってるの。

石丸:そういえば、赤坂のカラオケ館で、西川きよしが自分で受付の申し込みをしているところを目撃したな。どうも、男の秘書と時折カラオケしに来てたらしいんだけど、やっぱり、そこでも腰が低かったからね。

福田:あの人、2時間前にスタジオ入りするでしょう。あのクラスだったら直前でもいいのに。

石丸:弟子になったらタイヘンだと思うよ。やさしいから怒鳴られたりはしないだろうけど、あちこちに対して、師匠以上にうんと腰を低くしなければいけないわけだから。

福田:横山のやっさんだってイチコロだったと思う。威張っている人って、厄介だけどたいして悪い人いないんだよね。】

〜〜〜〜〜〜〜

 これを読んで僕が思ったことは、西川きよしさんというのは、ウラオモテなく誰に対しても腰が低い人なんだろうなあ(いや、自分の弟子とかにはわかりませんが、少なくとも対外的には)ということと、こういう「腰が低すぎる人」と、つきあっていくのは、ものすごくタイヘンだとうなあ、ということでした。
 本当に、「あのクラス」の人がそんなに腰が低かったら、弟子とか部下は、それこそ地面に這い蹲るつもりで周りに接しないと、「あなたの上司はあんなに丁寧な人なのに、それに比べて…」と言われてしまいます。そんなの比べるほうが間違っている、と嘆いても、それは、どうしようもないことで。
 もちろん、上司というのはアバウトな人より、しっかりしてくれている人のほうがいいわけなのですが、それもここまで来ると、もう、「ついていけない」状態になってしまいそうです。松平定信の寛政の改革の際に、「白河(定信が白河藩主だったため)の清き流れに魚棲まず もとのにごりの田沼(意次、将軍に重用され、賄賂が横行した)恋しき」という狂歌が流行したように、普通の人間にとっては、やっぱり、適度に「濁っている」くらいのほうが、生きやすいのは間違いないようですし。無礼な人は、一瞬の礼儀正しさで見直されますが、いつも礼儀正しい人が失望されるには、一度の威張った態度で十分なのですよね。
 これを読んでいると、確かに、西川きよしさんに対して「言いようのない怖さ」を感じてしまうのは事実です。本当に怒ったときに怖いのは、いつもカッカしている人より、いつもは穏やかな人だったりしますし。
 普通の人間としては、あまりに丁寧で穏やかな人に対しては、かえって、「腹の中では、何を考えているやら…」というような、不安を抱いてしまいます。自分ができないことをやってしまう人には、畏敬の念と同時に、ある種の居心地の悪さも感じてしまうのです。それがどんなに、素晴らしいことであっても。そういう人に対しては、こちらも「失礼があってはいけない」なんてプレッシャーを感じながら接することにもなるしなあ。
 本当は、西川さん自身にとって、「威張るより、腰を低くしていたほうがラクだし、心地よい」だけなのかもしれないんですけどねえ。