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2005年11月25日(金)
現代『ウルトラマン』事情

「ネットランナー・2005.12月号」(ソフトバンク)のコラム「ちゆは××を応援しています」(文・ちゆ)より。

【全50話ほどの予定だった『ウルトラマンネクサス』が、人気がなくて37話で打ち切られました。
 新しいウルトラマンを創造しようと、子供たちが期待する方向性からあえて逆走してみせたような内容。最終回にしてついに初めて主人公がウルトラマンに変身するなど、クライマックスの内容は凝ってて熱くてカッコいいのですが、打ち切りのせいで展開の早いこと早いこと……。
 その商業的な失敗を受けた後番組『ウルトラマンマックス』は、反動で超ベタベタな路線に。バルタン星人やゼットンなど、おなじみの怪獣を毎週の敵として登場させるという最終兵器まで投入してきました。あと、前作は主題歌も子供置き去りの楽曲で、歌詞に「ウルトラマン」「ネクサス」という単語すら入りませんでしたが、今回は歌い出しから「マックス!マックス!マックス!マックス!マックス!マックス!ウルトラマンマ〜〜〜〜〜ックス!」と連呼します。】

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 僕の記憶にある『ウルトラマン』というのは、『ウルトラマンレオ』から、せいぜい『ウルトラマン80』、あるいは「ウルトラセブン」の再放送、という感じなのです。それでも、当時の「普通の子供」として、ケイブンシャの「ウルトラマン大百科」くらいは読んでいましたし、怪獣消しゴムとかを集めていた記憶もあります。
 それにしても、最近のウルトラマンというのは、なんとも凄いことになっているみたいですね。僕は『ネクサス』も『マックス』も実際に観たことはないのですが、これを読んでいて、『ネクサス』というのは、なんて前衛的な『ウルトラマン』なのだろう、と感動しました。いや、この文章だけ読んでいると、そういう『ウルトラマン』に興味津々になったとしても、たぶん、実際に毎週観ている子供だったら、「なんなんだこれは…」としか言いようがなさそうですけど。
 しかしながら、大人というのは、ある意味、ものすごく単純なのかなあ、とこれを読みながら僕は考えました。いくら、「前衛的な路線」で大失敗したからといって、ここまでベタベタな路線に回帰してしまっては、あえて冒険をした意味がないんじゃないだろうか?と。まあ、そんなふうに思うのには、僕たちにとっての「大事な怪獣」であるゼットンとかバルタン星人とかが、「番組を盛り上げるための掴み」として、安っぽく投売りされていることへの不快感もあるのですが。続編で、前作の登場人物が簡単にやられてしまったりするのって、前作ファンとしては、けっこう腹立たしいものではないのかなあ。もう、「時効」なのかなあ。でも、「時効」だったら、そんな「有名怪獣」を登場させる意味も、あんまりないだろうし…
 主題歌にしても、「ウルトラマン」も「ネクサス」もない曲から、いきなり、「マックス、マックス、マーックス!」は、ちょっと極端すぎます。こういうのって、ダメなら「無節操」で、うまくいけば「臨機応変」。結局は、「結果しだい」なんでしょうけど……