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2005年11月16日(水)
上京症候群

「ダ・ヴィンチ」2005.12月号の特集記事「作家の上京ものがたり」の「わたしたちの上京事情」より。

(長編第2作「さくら」が17万部のベストセラーとなった、作家・西加奈子さんの「上京事情」についてのインタビュー記事の一部です。)

【大阪・天王寺で彼氏と喫茶店を営んでいた25歳の頃、暇を持て余した西加奈子さんは、言葉遊びの感覚で12作の短編小説を書き上げた。その後、初めて真剣に小説に取り組もうとした作品が『あおい』。そのときの感覚と「初めて脳みその中のことをちゃんと書いた感じ」と表現するから面白い。

(中略)

 おそらく西さんは、小説を書かなければ上京することもなかった。大阪という街が大好きだったし、「彼氏さえいれば何もいらないタイプ」と自身で分析するように、どんな所でも、自分なりの幸せや楽しみを見つけられる人。しかし、自分の頭の中のことを書く、という行為が、彼女を行動へと促した。

「大阪にいたら書けないことってあると思うんです。ぬるま湯で居心地がよすぎて、脳みそがどんどん柔らかくなるような感じでした。ここにいたら書けないかもなぁ……て思いましたね。大阪ってちょっと東京に対してライバル心があるんです。周りに相談しても、大阪でできん奴が東京行ってできるか、ということをよく言われた。でも、そう言われると、よけい行きたくなったんです。彼氏に、どうする?って聞いたけど、行かへん、て言うから私一人で行くことにした。友達もおらん東京で、私が何を書くか、自分でも読んでみたかった。それこそ、もっと脳みその中にあるものを書けるんじゃないか、って思ったんです」

 それからの西さんは朝からテレアポとスナックの皿洗いのアルバイト、夜はフリーのライター仕事をし、2ヵ月間で40万円の上京費用を貯めた。親には「彼氏とは長距離でがんばる」「フリーのライター仕事で東京に呼ばれた」と嘘をついた。すべてを振り切り、その先に見つめていたものは、出版社が集中する東京で、新たな表現を生み出していくことだ。

「そのときのことはあんまり記憶にないんです。2ヶ月間、ほとんど寝てなくて、怒涛というか、トランス状態になってて、自分でも意味がわからないくらい」

 辿り着いたのは下高井戸駅徒歩30分のアパート。電気もガスも水道も、トイレまでもがすべて故障という最低の状態だった。

「着いた瞬間、ヤバイ、もう寂しい……と思いました。そのときになって、何も考えてなかったなぁと思いましたね。何の当てもないし、仕事も決まってない。テレビもネットもなくて、1日音楽だけ聴いてました。親には『東京は楽しいで!』と嘘メール送って、本当は泣いてましたね」】

〜〜〜〜〜〜〜

 男としては、「彼氏さえいれば何もいらないタイプ」だったはずの彼女が、突然「小説を書くこと」に目覚め、「東京に行きたい!」と言い出すなんて、彼氏はさぞかし困惑しただろうなあ、とか、つい考えてしまいます。「書くこと」「表現すること」の魔力というのは、本当に何事にも替えがたい場合もあるのですね。
 西さんの場合は、やはり「上京したこと」が、現在の小説家としての成功(の過程)に繋がっているのだと思いますが、僕はこの記事をはじめて読んだとき、「大阪じゃ書けなかったのかな」とか「その『幸せ』を捨てなくても、両立できたのかも…」というようなことも、頭に浮かんできました。
 たぶん「小説を書く」というのは、何かの片手間にできるほど、簡単なことではないのでしょうけど。
 そして僕は、自分が「上京したかった頃」のことを思い出しました。田舎の高校生(しかも男子校!)だった僕は、「やっぱり、世界に通用する立派な人間になるためには、東京に行かなくちゃな」とか、思い込んでいたものです。周りにも「大学も学部もさておき、とにかく東京にある大学!」という同級生が、けっこうたくさんいたのです。まあ、田舎の進学校の男子の受験勉強のモチベーションとしては、「東京の大学に入ったら、都会で遊べる!」というのは、最高に単純明快かつ現実的、でしたし。
 結局、さまざまな(というか、偏差値的な)事情で、僕は地元の大学に行くことになったのですが、同窓会で高校時代の同級生が語る「東京体験」は、ものすごく刺激的だったような印象があります。ああ、東京では、いろんなことがなりゆきまかせで、けっこう簡単に「寝て」しまったりするのだな、とか。そういうのは、「都会」というより、「個人」の問題なのかもしれませんが。
 今となっては、「僕にはあんなに人の多いところで生活するのは無理」だと半ば悟ってしまっているのですけどね。
 それでも、「都会コンプレックス」って、まだ、僕の中には、ちょっとだけ残っているような気がしています。実際に行った人たちは、そんなに良い事ばっかりじゃないよ、と口を揃えて言うけどさ。
 西さんの場合には結果的にうまくいったけれど、同じようにいろんなものを捨てて東京に行って、後悔している人もたくさんいるのだろうし。ただ、一度そういう「上京病」にかかってしまったら、上京せずに「平凡な幸せ」を得ても、一生後悔してしまう可能性もありますよね。

 西さんは、このインタビューのなかで、次のように語られています。

【最初の頃の東京の印象を西さんは「森」にたとえる。人が大勢いるのに、誰も人に関心を示したり、関わろうとしない。西さんが育った大阪とはまったく逆だ。

「不思議なところやなぁと思いましたね。最初は寂しいと思ったけれど、そういう森みたいな所で誰かと仲良くなったりすると、その人への愛情も倍になるんです。今は誰もこっちを気にしてないことが、逆に楽ですよね。】

 田舎の人間関係に、「お互いをよく知っているという気楽さ」と同時に、ある種の「息苦しさ」があるのと同じように、東京には、「東京にしかない愛情」があるのでしょうか?