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2005年10月14日(金)
その「一線」だけは、越えろ!

「スポーツニッポン」2005年10月13日掲載の記事「イッツ笑タイム」より。

(メンバー全員が萩本欽一さん主宰の「欽ちゃん劇団」に所属しているという、「時代劇コント」で人気のユニット「カンカラ」の紹介記事の一部です。筆者は牧元一さん)

【「カンカラ」という名前は欽ちゃんがつけた。
 「自分たちの考えを押しつけるのではなく、お客さんが何を求めているのかということを察する”感(かん)”から笑いが生まれるという意味。それに、舞台で大切な”間(ま)”が”かん”とも読めることも含まれている」
 結成当時は欽ちゃんが直接指導した。その教えはもちろんいまも生きている。
 「欽ちゃんは僕たちのコントを見て、面白いか面白くないかは言わなかった。言ったのは”それをやるんだったら、その演技は間違っている”とか、”その演技だと、そのオチには行かない”とか演技のことだけだった」
 欽ちゃんの「コント55号」はテレビのカメラが追い切れないほどの激しい動きをして笑いを生んだ。「カンカラ」も時にカメラがすべてをとらえ切れないほどのアクションを見せる。メンバーは55号の全盛期を知らない世代だが、その遺伝子はしっかりと受け継がれている。
 「55号のとき、欽ちゃんはテレビ局の人に”カメラの都合で、舞台のこの線からこの線の間でやってほしい”と注意されて、”この線だけは越えよう”と考えたらしい。そういう発想は同じ。僕たちの笑いを若い人に問いかけたいし、海外にも行きたい」
 欽ちゃん、ドリフ、そしてカンカラや数多くの芸人たち、お笑いは継承され、さらに発展していく。】

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 僕はこの「カンカラ」の舞台を観たことはないのですが、「爆笑オンエアバトル」で高得点を獲得するなど、最近注目されているお笑いユニットなのだとか。アイディア主流の最近のお笑い界のなかで、「動き」でみせるのが、彼らのポリシーなのだそうです。
 彼らにとっての師匠である、「欽ちゃん」こと萩本欽一さんは、今では「欽ちゃん球団」のイメージが強いのですが、僕の子どものころは、まさに「テレビバラエティの王様」だったのです。僕が物心ついたときにはもう、「コント55号」ではなくて、「欽ちゃんのどこまでやるの」とか「欽ドン」とかの時代だったのですけど。
 でも、僕の中では、むしろお笑い界では「保守派」というイメージがあった欽ちゃんなのですが、この記事を読んでいると、萩本欽一という人は、ものすごくいろんな計算をしながら「お笑い」というのをやっていて、しかも、その一方で、「型破りな面」も併せ持っていたのだなあ、と思いました。
 普通、テレビに出演している芸人さんというのは、「ここからここまででお願いします」とスタッフに言われれば、流れによってはそこから出てしまうことがあるとしても、基本的には「与えられた枠内で」やろうとするものだと思います。そのほうが、「安全」だし、周囲との軋轢も生まないですむはずだから。でも、欽ちゃんは「あえてその枠を越える」ことを自分に課していたのです。そして、その「枠を越えてみせる姿」こそが、観客にとっては新鮮に映ったのでしょう。「コント55号」は、画面からはみ出してしまったのではなくて、わざと画面からはみ出していたのです。
 こういう「逆転の発想」こそが、オリジナリティを生み出す源になるということなんですね。「制約」があるときこそ、本当は、チャンスなのかもしれません。