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2005年10月07日(金)
あたしは家族はつくらない。

「空中庭園」(角田光代著・文春文庫)より。

【あたしは家族はつくらない。専門学校を出た二十歳のとき、どんな仕事をするかは決めていなかったけれど、それだけはつよく決意していた。二十三歳になり、二十五歳をすぎ、来月の二十七歳を待ち、家族をつくらないという決意はあいかわらずあるが、ならば何をするのか、何をして生きていくのか、つねにそう問われるようになった。周囲の人々からも、自分の内側からも。ならば何をするのか、何をして生きていくのか。家族を持つというのはたったひとつの選択なのに、家族を持たないと決めると無数の選択肢が生じはじめるのはなんでだろう。】

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 小説内でのこの独白の主は、ミーナという女性で、彼女は19歳の頃に、家族の「秘め事」を目の当たりにして、深く傷ついてしまいます。そして、「家族をつくらない」ことを決意するのですが…
 正直、僕も二十歳の頃は、「家族なんて要らない」と思っていました。でも、年を取るにつれて、いろいろ考えさせられる機会も多くなってきたのです。「何のために生きるのか?」と問われたときに、僕には明確な答えというのがなかなか見つからず、これからどんどん年をとっていくのだとしたら、それはなんだかひどく寂しいことなのではないか、という気がしてくるのです。「家族のため」とか「子どものため」というような親の科白に、「他人に責任押し付けやがって」と子どもの頃は憤ったものだったけれども、自分が大人になってみると、「家族のため」とでも考えないとやっていけないのも、わからなくはないんですよね。だって、今さらノーベル賞を取れるわけでもないし、SMAPのメンバーに入れてもらえるわけでもない。

 年をとっていくにつれ「ひとりで生きる」ということに対して「理由」を問われるようになっていきます。「仕事がしたいから」とか「束縛されたくないから」というような、「積極的な理由」がなくて、「なんとなくひとりでいいかな、と思っている」人間に対しても、その「理由」は、問われ続けるのです。そんなにあなたたちの家族は、幸せには見えないんだけどねえ、とか言いたいような場合でも、「家族を持っていること」というのには、反論の余地がない「真実みたいなもの」が含まれています。
 それに、自分の年齢というのを考えると、「家族を持つ」という選択肢が目の前にあるのは、あと何年なんだろう?とか思えてくるときもあるんですよね。今はひとりでいいけれど、一生ひとりでいることができるだろうか?と、ものすごく不安な気分になります。例えば、僕が40歳になってから、新しい「家族」を作っていくことは可能なのだろうか?いや、物理的に不可能ではないのだろうけれど、僕自身はそれに耐えうるだろうか?とか。出産、ということを考えれば、女性の場合は、さらに切実な問題と感じる人も多いのではないでしょうか。
 「家族を持たないこと」よりも、「家族を持つという選択肢が無くなってしまうこと」のほうが、もしかしたら、怖いことなのかもしれません。そして、「タイムリミット」は、少しずつ迫ってきます。

 本質的には、「結婚しているかいないか」と「どのように生きるか」というのは、必ずしもシンクロしているものではないし、結婚していても「何をして生きていくのか」に迷う場合もあると思うのです。でも、「とりあえず家族を持っている」ということは、それだけで、ひとつの「理由」なんですよね。
 「理由」に追われて生きるのは辛いけれど、「理由」もなく生きていくには、人生の後半戦というのは、ちょっと長すぎるのだろうか?