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2005年09月10日(土)
カリスマWEB日記作家が語る「有名人ブログの光と影」

「週刊SPA!2005.9/13号」(扶桑社)の記事「自己主張する『有名人ブログ』」(取材・文/磯野麻衣子 編集部)の菊地成孔さんのインタビューより。

【僕がWeb日記を始めた当時(’99年)は文筆の仕事もしていませんでしたから、何も考えずにがんがん書き始めました。規制なんて一切ないと思っていましたし、現在においてもWeb日記やブログは、どんな酷いことや間違いを書いても基本的には構わないと思っています。
 始めて1年ぐらいで「人気サイト」みたいに言われ出してからは、最早「公器」になってしまった。ファンメールに混じって抗議や訂正の請求が沢山来て。「影響力があるんだから発言に注意しろ」「読んで傷ついた。謝れ」とか知らない人に言われて、自由とモラルについて考えました。掲示板などとも違い、一人ひとりが勝手に何かを書くという行為の束でできた社会において、モラルの確立は難しいのかも知れないですね。
 世界には嫉妬も憎悪も怨念もあるけど、善意も愛情も救済もある。という当たり前のことも思い出させられました。神経症のカムアウトをしたことがあり、治療日記だった時期があるのですが、その2年間に悪意のあるメールは一通も来なかった。天使みたいなメールがいっぱい来て。あの時期がなかったら死んでたかも知れない。それで今度は元気になって有名になると、誹謗や中傷や皮肉のメールが凄くなってきて。でも、最初に善意の存在を知っていたので平気でした。今後「有名人ブログ」が定着するかどうかは、悪意による汚染をいかに排除するか、そのシステムの建て方次第と言えるのではないでしょうか。元気いっぱいで始めて、最初に悪意を喰らって参ってしまう人もいるでしょうから。(談)】

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 ちなみに、菊地成孔さんは、こういう方です。
 ここで語られている「ネット上のカリスマ」としての経験を踏まえた菊地さんの話には、いろいろ考えさせられます。僕はさすがに、【規制なんて一切ないと思っていましたし、現在においてもWeb日記やブログは、どんな酷いことや間違いを書いても基本的には構わない】とは思いませんけど。
 菊地さんは、6年にわたってWEB日記を書かれていたのですが(2005年7月に更新停止)、同じ人間に対する周囲の反応が、たった6年間でこんなに移り変わっていっているのですよね。「公器」になってしまってからの菊地さんの苦悩というのが、ものすごく伝わってきます。
 ただ、その一方で、ネット上には「天使」もいるのです。「電車男」のように悩んでいる人を励ましたり、応援したりしてくれる「名無しさん」もたくさんいます。ちょっと調子に乗っていると叩かれるし、落ち込んでいると励まされる。そういう意味では、ネットの世界というのは、【世界には嫉妬も憎悪も怨念もあるけど、善意も愛情も救済もある。】というのを、あまりに激しく思い知らされる場所なのかもしれません。ついこの間まで、みんなが賞賛して持ち上げていたはずの人も、逆に有名になってしまうと引きずりおろされてしまう。いやまあ、こういうのって、「現実社会の縮図」そのものなのですが。まあ、少なくとも、悪いことばかりじゃないし、「弱者ばかりが叩かれる」よりは、「良心的」なのかもしれません。
 眞鍋かをりさんは、以前自分のブログで【ほかのメディアと違って、何の演出も受けないこのツールのなかでは、100%に近く正直でありたい】と書かれていました。そして、「100%」のあとに「に近く」と書いているところが、眞鍋さんのブログの微妙なバランス感覚なのでしょう。やっぱり、本当の「100%」は書けないけれど、それを100%に近く読み手に感じてもらうというのも、ひとつの技術。

 それにしても、「ブログ」というツールが、世界に「影響力」を発揮するようになるにつれ、どんどん「制約」は増えていく一方だというのは、皮肉なことですよね。