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2005年08月12日(金)
「犬が死んだら、そこで飼うのをやめてはだめだ」

「ばななブレイク」(吉本ばなな著・幻冬舎)より。

【ひとり暮らしをはじめてから、私は病気の犬を飼っていた。それは私がはじめて自分だけの責任で飼った生き物であり、手がかかるぶん本当に愛していた。しかしいつもどこかで死のことを考えていた。
「もしも死んだら、私はどうするのだろう」と考えるとどうしてもわからなかった。「もう犬は飼えない」と決心するか、また犬と暮らすのか、絶対決められないような気がした。
 そういう時何かの雑誌で、ムツゴロウ氏が「犬が死んだらそこで飼うのをやめてはだめだ、二匹目には一匹目の、三匹目には一匹目と二匹目の面影が重なっていくのだから」と書いていたのを読んで、「動物のことでこのひとの言うことは確かだ」と信頼した。納得したが、目の前に愛犬がいるのだからそうそう死ぬことばかり考えてはいられなかったので、すぐに忘れてしまった。
 数年後、その愛犬が闘病の果てに急死した朝、なぜか「実際」に私の頭に真っ先に浮かんだのがその言葉だった。本当にその言葉を読んだことをずっと忘れていたのに。
 私は大変世話になった獣医師が愛犬の死を確認に来た際、泣きながら「先生、私は犬と暮らしてとても楽しかった、また犬を飼います」と自分が妙にはっきり言ったのを覚えている。
 現在私はまた犬と暮らしている。
 本当に彼の言うとおりだった。その鼻の形やちょっとした仕草や、食べ方、喜び方、大きさ、背中。あらゆるシーン、あらゆる時に前の犬の面影を日々感じ続けている。
 感じたくて情で感じているのではなく、大型犬であるかぎり本当に特質が似ているのだった。そしてその「似ている」という感情は犬全般というものの特質への愛につながっているのがわかる。
 あそこで悲しみのあまりに飼うのをやめたらそうとは意識せずとも、いつのまにか私は死んだ愛犬を擬人化し、偶像化して本当に葬り去ってしまっただろうと思う。
 真実の言葉は人間に染み込むのだ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 吉本さんは、これを犬を飼った経験の話として書かれているのですが、僕はこれを読んでいて、「愛情」というもの一般には、こういう面もあるのだよなあ、と感じました。「いなくなっても、同じ人を思い続ける」という気持ちは確かに美しいものだし、愛犬が亡くなった直後に、「新しい犬を飼います」というのも、その場で聞いていたら、なんとなく不思議な光景ではあったような気もしますけど。
 人と犬の場合は、お互いの寿命が違うわけですから、ずっと犬を飼っていれば、悲しい別れの場面というのは多くなるはずです。でも、多くの愛犬家たちが、最初の愛犬と別れてしまったあと、「こんな辛い気持ちになるのなら、もう犬なんて飼わない」と決心しながら、やっぱりまた新しい犬を飼ってしまうというのもまた事実なのです。うちもずっと犬を飼っていたので、この「犬全般というものへの特質への愛」というのは、よくわかります。僕は基本的に動物は苦手だったのだけれど、自分の家で犬を飼うようになってから、少なくとも犬という生き物一般に対して(そして、それを「飼っている人々」に対しても)、親近感を抱くようになってきましたから。
 恋愛というのも、あるいは、経験を重ねていくたびに、「本質」が見えてくるようになるのかもしれません。確かに「前の相手と比べる」というのも、仕方が無いことなのでしょうし、それもまた「恋愛経験を積むことによる喜び」なのかもしれません。もちろんそれは、「いいかげんな恋愛」を数だけ増やしてもダメなのだろうし、「相手よりも、恋愛そのものを求める」ようになってしまうリスクがあるのだとしても。
 ただ、一人の男としては、「あなたの面影を生かすために、他の男と恋愛するね」とか言われたら、それはそれで、かなり不貞腐れそうな気もするのですが。