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2005年07月23日(土)
『いま、会いにゆきます』の作者の「小説を書く上での注意点」

「小説を書きたい人の本」(清原康正監修・成美堂出版)の巻頭インタビュー記事「私はこうして小説家になった」での市川拓司へのインタビューの一部です。

【インタビュアー:小説を書く上で何か注意している点はありますか。

市川:最初に頭に浮かんだ文体は捨てます。最初に浮かぶということは、観たことがある文体で、読者に新鮮さを与えないからです。そこで、連想ゲームを繰り返し、まだ世に出ていない文体を作り上げていきます。】

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 映画化された『いま、会いに行きます』で、時代の寵児となった市川さんが語る「小説を書く上での注意点」。僕はこのインタビューで初めて知ったのですが、市川さんも以前はネット上で小説を発表されていたんですね。
 この話を聞いて僕が思い出したのは、以前、井上ひさしさんが「文章教室」で、言われていたことです。
 「ある程度の長さの文章を書いてから、それを短くまとめるとき、最初に削るべきところは、『自分がいちばん気に入っているところ」だと、井上さんは言われていました。井上さんによると、自分で気に入るようなところというのは、物事を客観的にとらえられていないことが多いし、他者からみると、表現が過剰だったり冗長だったりして、かえって「面白くない」ことが多いそうなのです。もちろん、こういうのって、その作家によっても違うんでしょうけど、市川さんも井上さんと同じように「自分の感性で最初に思いつくようなことは、みんなが思いつくようなことなんだ」という視点で、小説を書かれているんですね。
 プロだからこそ、自分の感性を「信仰」するのではなく、その「自分の感覚」というものの位置づけをキッチリと理解されている、ということなのでしょう。あまりひねりすぎても、面白くないのだろうけれど、小説家というのは、ただ、思いついたことを文章にしていればいい職業なんていうような、甘いものじゃないのは確かなようです。
 ネットをやっていると、「自分が思いつくようなことは、大概、誰かが先に思いついているんだなあ」と痛感させられることが多々あります。例えば、学校一の強打者が、甲子園に出れば単なる「どこにでもいる、並以下の選手」になってしまうように。
 こんな文章が書けるなんて、作家っていうのは才能があるんだなあ、なんて思うのですが、「才能」だけじゃダメなんですよね、きっと。