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2005年06月18日(土)
文学新人賞を獲るための「傾向と対策」

「ダ・ヴィンチ」(メディアファクトリー)2005年7月号の記事「文学賞メッタ斬り!in 番外新人賞ナビゲート編」より。

(『文学賞メッタ斬り!』(PARCO出版)の名コンビ、豊崎由美さんと大森望さんが、「新人賞に挑む極意」について対談した記事の一部です。)

【大森:ところで、新人賞に応募する人のなかには、選考委員の作家で送り先を決める人もいますが、それについてはどう思います?

豊崎:うーん。たとえば好きな作家が選考委員をつとめている章に、その作家とよく似た作風のものを書いて出す人とかいますよね? でも、作家って自分と似たようなことを書く人にものすごく厳しい。ここもダメ、あそこもダメって、欠点がすごくよく見えるから。むしろ自分が敬愛している作家に落とされかねない事態も起こりうる。ここは気にかけたほうがいいと思います。

大森:たしかに。「どうしてもこの作家に読んでもらいたい」と強く思ったりしない限りは、選考委員の作家を意識するよりも過去の受賞作や候補作にどんな作品があるのかを見たほうがいい。

豊崎:そうそう。”何が獲っているのか”ということを調べることが大事ですよね。あと、書いたものを本好きの知り合いに読んでもらうのもいいかも、「これなら純文学系よりライトノベルでもいいんじゃん?」とか言ってくれる人がいるかもしれないし。自分じゃなかなか判断できない部分はありますからね。でも、もっとも大事なのは、募集要項をしっかり読むこと! 意外に難しいんですよ、「左側を綴じる」とか「○○字詰めの用紙で」とか。それでミスをしてハネられるなんて悲しすぎですよ(笑)。

大森:諦めない、ってことも大事。何回も応募することも必要ですよ。はじめて応募した先でスルっと賞を獲っちゃうケースよりも、1次・2次選考で落とされたものを磨いて、いろんなところを経由して受賞することも多いですから。】

〜〜〜〜〜〜〜

 これを読んでいて、ああ「投稿したものが採用されるための秘訣」というのは、文学賞でも、学術論文でも似たようなところがあるのだなあ、と思ったのです。もちろん、学術論文には、「その世界のしがらみ」というような、内容以外のファクターもけっこうあるみたいなのですが。
 でもまあ、最近の文学賞の傾向からすると「作者のキャラクター」というのが、けっこう重視されているような賞も多そうだけど。
 この「自分の好きな作家に落とされる悲劇」というのは、考えてみれば、確かにそうなんですよね。いくら自分のファンだとしても、同じジャンルであれば「書いてあることがわかる」から、細かいところも目につくでしょうし、一作家とすれば「自分の劣化コピー」みたいな人が新たに同じ業界に参入してくるのが快いはずもありません。逆に、自分が日頃接していないジャンルのほうが、目新しい印象を受けるかもしれないし。
 そして、「どこに応募するのか」というのも大事ですよね。僕も論文を書いているときに、指導してくれている先生に「どこに投稿するか、投稿する雑誌の傾向を研究しておくように」と言われました。もちろん、ノーベル賞クラスの研究とかであれば、「Nature」でも「New England Journal」でも好きなところに投稿すればいいのでしょうが、現実にできあがる論文というのは、もっとマニアックで、「読む人を選ぶ」ものがほとんどです。だから、「ある雑誌なら、一発でOKの内容でも、他の雑誌では『興味ない』と門前払い」なんていうのは、よくある話で。実際は、「ことごとく門前払い」なんていう状況も起こりうるわけなのです。同じようなジャンルに見える学術雑誌でも、エディターによって微妙に「好み」が異なるので、「どんなものが今まで載っているのか?」を研究するというのは、「邪道」っぽいですけど、けっこう大事なことなんですよね。「出したいところに出す」よりも「載せてくれるところに出す」という割り切りが必要なときもある。

 そして、「ストライクゾーン」というのは、イメージとは違うということも少なくないのです。
 この対談の中で、豊崎さんが【むしろ「ファンタジーノベル大賞」に「中世っぽい舞台で竜退治」みたいなド真ん中のファンタジーを送っても絶対に通りませんからね】と書かれていますが、確かに、 第一回の日本ファンタジーノベル大賞を受賞した、酒見賢一さんの「後宮小説」を読んだとき、僕は「これって、ファンタジーなの?」と思った記憶がありました。むしろ、歴史小説っぽい感じで。その後もこの賞で「ド真ん中のファンタジー(=「ドラゴンクエスト」のような世界観)」の受賞例って無いようです。「何がファンタジーか?」という解釈は難しいけれど、少なくとも「いかにも」というような作品は、かえって評価が辛くなるのでしょう。逆に歴史小説の賞に「後宮小説」が投稿されていたら、この作品は世に出られなかった可能性もあるわけで。

 「自分が良い作品を書く」ことは、もちろん大事なことなのですが、「相手をよく知る」というのも、やはり大事なことなんですよね。そういうのって、大概、さんざん苦労したあとにようやく気付くものなんですが…
 「Nature」でも「New England Journal」でも好きなところに投稿すればいいような論文、あるいは、どんな文学賞に投稿しても選考委員を圧倒するような作品が書ければ、それに越したことはないし、最初は、そのつもりでやっていたりするんだけどねえ。