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2005年05月21日(土)
「食べたくない」って、ハッキリ言いなさいよ!

「やぶさか対談」(東海林さだお・椎名誠共著:講談社)より。

(東海林さんと椎名さんがホスト役になっての対談集。田嶋陽子さんがゲストの回の一部です。)

【椎名:やっぱり田嶋先生は純粋じゃないですかね、基本が。
東海林:純粋……あっ、いい言葉だね。
田嶋:不器用で単純素朴に生きてるから。
東海林:質問をはぐらかしたり、韜晦とかしないですね。真っ直ぐに批判する。
田嶋:そうですね。たとえば、私が「食事しませんか」って言うと、「疲れていらっしゃるでしょう」って返事する人がいるんですよ。そうすると、私はすごく怒っちゃう。
東海林:何でですか。
田嶋:「疲れてるか疲れてないかは私の決めることで、あんたの決めることじゃないよ。あんたが食べたくないなら、食べたくないってハッキリ言いなさいよ」って。
東海林:「お疲れでしょう」って言い方って、挨拶代わりじゃないですか。あるいは思いやりとか。
田嶋:いや、断る言い訳ですよ。だから、勝手にこっちの気持ちを忖度してくれるな、こっちのせいにするな。そういうずるいことするなって怒るんですよ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕もけっこう、こういう「お疲れでしょう」「お忙しいでしょう」というような「婉曲的な拒絶」をしてしまうことが多いので、この田嶋さんの言葉には、ドキッとしてしまいました。ああ、こっちは気を遣っているつもりでも、相手はわかっているんだなあ、って。
 もっとも、僕自身だって、そういうふうに「この人は、こっちに気を遣っているようだけど、本当は気乗りしていないんだろうな」というのが言われる側として「伝わってくる」ことはよくあるのですけど。

 まあ、こういうのって、相手が憎からず思っている異性だったりする場合には、「疲れてても一緒に行きたいから誘ってるのに!」と歯噛みしてしまうこともありますし、気乗りしないけれども粗略にもできない相手であれば、社交儀礼的に「今度飲みにでも行きましょう」「そうですね、ぜひ」「じゃあ」というような感じで、お互いに間合いを取ったまま別れてしまうこともあります。後者の場合は、本当に「今からどうですか?」とか「じゃあいつにします?」とか言われて、困惑することもたまにあるのですが。

 でもなあ、内心「行く気もないくせに」と思いつつも、実際に面と向かって「あなたとは行きたくないです」と言われたら、僕はけっこうショックを受けると思うのです。この人は自分のことを嫌いなんだろうな、と理解しているつもりでも、実際に「お前なんか嫌いだ」という言葉を投げつけられるのは辛いものではないでしょうか。

 少なくとも今の僕にとっては、そういう「日本人的な気遣い」は、嫌悪感もある一方で、なめらかに生きていく上ために、なくてはならないものかな、という気がするのです。

 それにしても田嶋さん、【「疲れてるか疲れてないかは私の決めることで、あんたの決めることじゃないよ。あんたが食べたくないなら、食べたくないってハッキリ言いなさいよ」】というのは確かにその通りなのですが、その「事実」を歯に衣着せず口にしてしまう「ハッキリした人」と食事をするのは、僕のような小市民にはとても辛いと思います。もちろん、誘われることもないでしょうけど……