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2005年02月17日(木)
鴨崎先生、ありがとう。

読売新聞の記事より。

【天職といえる仕事に巡り合える人が世の中にどれほどいるだろう。大阪府寝屋川市立中央小学校の教職員殺傷事件で犠牲になった教諭、鴨崎満明さん(52)は、間違いなくその一人だった。全力でぶつかり、耳を傾けてくれた「鴨ちゃん」を、何百人もの教え子が惜しみ、悼む。
 鴨崎さんは大阪出身。国士舘大の体育学科を経て1975年、小学校教師になった。2番目の勤務地、寝屋川市立池田第二小学校の教え子だった大阪府大東市の派遣社員、瓦田浩章さん(36)は5年生の時、勉強が嫌で不登校になった。鴨崎さんは毎日家に来た。「学校へ来い」とは言わず、学校やクラスメートの話をして帰っていった。その後ろ姿を見ていると「学校行かなあかんな」と思えた。
 「子供は優しさを求めてるんや。そうやって接したら絶対にわかってくれる」。同僚にそう言っていた。
 中央小に来たのは7年前。高校1年の加藤勉さん(16)は同級生を殴ったりして、先生たちをてこずらせた。5年で担任になった鴨崎さんは「おれの弟子になるか」。「1番弟子にして」と言った加藤さんに、先生は三つの約束をさせた。「女の子には手を上げない」「なるべくけんかはしない」「友達の気持ちを考える」
 寂しそうにしていると、「困った時、苦しい時でも上を向けば明るいものがある。上を向いて生きろ」。いつも見ていてくれた。
 中学では野球に明け暮れ、悪いこともしなくなって友達も増えた。先生は涙を流して喜んだ。
 今は、明徳義塾高野球部で寮生活を送る。事件翌日、新聞に載った先生の顔写真が目に飛び込んできた。「3年間頑張れたら、2人で遊びに行こう」と約束していたのを思い出した。涙が止まらなくなった。
 「鴨ちゃん」「鴨やん」「鴨先(かもせん)」。世代やクラスによって愛称は違うが、4月の始業式で担任が発表される時、「鴨崎先生」と言われたクラスからは歓声がわいた。
 「これからは、だれに相談したら……」。数え切れない教え子が、心のよりどころを奪われた。】

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 もちろん、こういう「お涙頂戴」的な記事がすべて真実とは限らないし、脚色もあるのでしょうし、この先生にだって「暗部」が全然無かったとは言い切れないでしょう。
 でも、僕はこの記事を読んで、あらためて「先生」という仕事について考えさせられました。いろいろ言われているけれど、まだまだ、こんな素晴らしい先生もいるのだなあ、って。
 医者というのは、学校の先生と並んで「聖職」と言われる仕事なのですが、最近働いていてイヤになってきていることに、「患者さんに訴えられないように、気をつけること」が、日増しに多くなっていること、というのがあるのです。職業としてベストを尽くすことに関しては、自分で選んだ仕事だし異存はないのですが、最近の医療現場は、例えば、事故を起こしたときに、海外ではI'm sorry.と言ってはならないとか、そういう「自己防衛」のための注意点ばかりになってしまい、「何のために仕事をしているのだろう?」と考えこんでしまうことばかりなので……
 「訴えられないために、働いている」ような気持ちにまで落ち込んでしまうことだって、ときにはあるのです。
 
 「子供は優しさを求めてるんや。そうやって接したら絶対にわかってくれる」
 もちろんこの言葉に対して、「理想論」だという批判をする人もいるでしょう。僕だって、「愛情や優しさだけでは、どうしようもない」という状況はあると思うのです。もちろん、鴨崎先生だって、現実の無慈悲さに打ちのめされたことだって、あったのではないでしょうか。
 それでも、先生は「絶対」なんてこの世にないことを悟りつつも、あえてそう言っていたのではないか、と僕は想像しています。そして、そんな先生に救われた子どももたくさんいたのではないかな、と。
 昨今の教育問題で、「学校を守るための設備」とか「教育のためのテクニック」などは、しばしば語られているようです。それは、病院でも同じことなのですけど。
 にもかかわらず、そういう薄っぺらい「小手先の技術」に比べて、現代の感覚からすれば、いささかアナクロな感じすら覚える鴨崎先生の言葉は、なんと重みがあるのだろうか、と思わずにはいられません。

 「どうしてこんないい先生を…」と、多くのメディアでは、「被害者・鴨崎先生」のことが語られています。確かに、鴨崎先生は、「昔の教え子」に対して、あまりに無防備だったのかもしれない。
 でも、鴨崎先生が「異常な17歳の少年に命を奪われた被害者」としてだけ人々の心に残るのは、あまりにも悲しい。
 「学校が悪い」「先生が悪い」ってみんな言うし、困った先生も少なくないんだろうけど、こんな「不幸な機会」がなかったために、誰にも知られずにひっそり引退していくような立派な先生も、きっとこの日本中にたくさんいるはずです。
 だから、僕はあえて、先生に「お悔やみ」ではなくて、この言葉を贈ります。不幸な一瞬の記憶よりも忘れてはいけないことが、きっと生徒たちの心には遺されているはずです。

 鴨崎先生、本当にありがとうございました。