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2004年10月16日(土)
「叱ることからは、何も生まれない」

西日本スポーツの記事より。

【選手時代から、自分の力だけを頼りにのし上がってきた落合監督の財産は、4球団を渡り歩いた経験だ。
「オレはいろんな監督の下についてプレーしてきた。野球についていろいろ学んだつもりだ」と語る。
「責任を与えることによって人は伸びる。プロなんだからミスを責めたりはしない。自覚を持った人間に叱ることからは何も生まれないよ」というのが持論。】

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 今日からプロ野球の日本シリーズが開幕するのですが、僕は正直、中日の新監督に落合さんが決まったとき、これは今年の中日は厳しいな、と感じたのです。何かとマイペースな言動で知られていましたし、指導者としての現場経験にも乏しかったし「4球団を渡り歩いた経験」というのは、僕からみれば、「自分のやり方を通して、ファンを裏切ってきた」というふうにも思っていましたから。もちろん、本人の意思とは関係なしにトレードを通告された、というケースもあったわけですけど。
 今年の落合監督の成功の要因は、この「持論」に集約されているのかもしれません。「自覚を持った人間に叱ることからは何も生まれない」というのは、僕も常々考えていたことでした。
 まだ物事に対する自分なりの判断基準を持たない子供の場合、「叱る」という形での「価値基準の提示」であるとか、「負けん気を起こさせる」というのは必要なこともあるでしょうが、大人同士の場合、叱られて「じゃあ、頑張ろう」と思うよりも、かえって萎縮してしまったり、やる気をなくしてしまったりする場合が多いような気がするのです。「愛の鞭」なんていうけれど、そういうのって、鞭をふるう側の自己満足に過ぎないのではないかな、と感じるのです。
 だって、大部分の人は、自分を褒めて評価してくれる人のために頑張ろうとは思えても、自分をけなしたり、叱ったりする人のために力を尽くすことは難しいのではないでしょうか。
 もちろん、「アメとムチ」を使い分けることは重要でしょうし、相手が大人でありプロであるという信頼関係があるからこその言葉なのでしょうが。

 しかしながら、この「オレ流」が、果たしてずっと続くかどうかというのは、非常に難しいところです。大魔神・佐々木を擁して横浜を日本一に導いた権藤監督は、優勝したときには「選手の自主性を生かした名将」とたたえられましたが、何年か後には、「監督は厳しさが足りず、選手の規律が乱れている」という批判を浴びました。
 西武を何度も日本一に導いた森監督は、横浜では「選手に対する締め付けが厳しすぎる」ということで、監督の座を追われています。
 今年「オレ流」が成功したのは、星野監督時代からの管理野球に対して萎縮していた選手たちが、落合監督の下でのびのびプレーできたからで、この状態が続くと、今度はまた「気の緩み」が蔓延してくることも十分に考えられます。
 「叱ることからは、何も生まれない」確かに、そうであってほしい。でも、それで結果が出るかどうかというのは、タイミングという要素もあるんですよね。その「タイミング」が、偶然のものだったのか、それとも必然のものだったのかは、今はまだわかりませんけど。