初日 最新 目次 MAIL HOME


活字中毒R。
じっぽ
MAIL
HOME

My追加

2004年10月14日(木)
「将来のための修学旅行」とは言うけれど…

毎日新聞の記事より。

【中学高校の秋の修学旅行にちょっとした異変が起きている。首都圏のレジャー施設や繁華街を訪ねる傍ら、訪問先に大学を選ぶコースが増えているのだ。少子化で「淘汰(とうた)の時代」を迎え、受験生の確保やPRに躍起の大学側と、修学旅行を利用して進学を真剣に考えさせたい学校側の思惑の一致が背景にあるようだ。リクエストに応じてキャンパスでは模擬授業や進学説明会などが開かれている。
 「ご覧の通り門がありません。社会に開かれた大学を象徴しています」。9月28日。早稲田大学(東京都新宿区)の大隈講堂前で、マイクロバスから降りたのは、福岡県立鞍手高校(直方市)の2年生37人。学生ガイドの説明を受けながらイチョウ並木を歩き、「冬のソナタみたい」と顔をほころばせた。この日は同じ高校の別グループも国際基督教大や東京理科大などを訪ねた。日程の後半には東京ディズニーシー行きも組まれている。
 引率した山内省二教諭は「スキーや韓国旅行は楽しいが、進路を考える手助けになるものをと、始まった。見学するとその大学の受験生が増えるのも事実」と語る。
 早大には10月だけで30高校1485人が訪れる予定だ。中学生対象のキャンパスツアーも昨年から始めた。同大は「必ず受験につながるとは考えていないが、キャンパスの雰囲気や生の授業を直接伝えられるのは大きい」と訪問を歓迎している。
 修学旅行のレジャー色を一掃した学校もある。群馬県立高崎高校(高崎市)。02年から、従来の京都や広島への旅行をやめて「企業・研究所・大学訪問研修旅行」に切り替えた。2泊3日の日程で商社やシンクタンク、東大、京大、筑波大、早大、慶応大などを訪ね、訪問後にレポートを書かせる。学習主体のため、今年からは「旅行」の名前も外した。同校は「将来を見据えた進路指導をやろうと考えた。親や生徒には好意的に受けとめてもらっている」と話している。】

〜〜〜〜〜〜〜

 こういう「修学旅行での大学訪問」って、最近の流行なのでしょうか。
 実は僕の高校の修学旅行が、「東京・京都観光+大学めぐりツアー」だったので、この記事を読みながら、当時のことを思い出してしまいました。もう、15年くらい昔の話になりますが。
 あのころは、修学旅行が「有名大学訪問+自由観光」と聞いて、「まあ、気合の入った進学校なんて、そんなものなんだろうな」とか冷めた目で修学旅行をいうのを捉えていました。そのことについてとくに「うれしい」とか「残念」とかは感じてはいなかったような記憶があるんですけどね。
 そもそも、男子校の修学旅行なんて、どこに行ってもロマンなんてありはしないし、修学旅行に行くこと自体「かったるいなあ…」という雰囲気だったし。男だけでディズニーランドとかに連れて行かれた日には、暴動でも起こしたかもしれない。

 とはいえ、この「大学めぐり」というのは、それはそれでいい経験だったとは思います。僕は東大、慶応、そして京大に行ったのですが、やっぱり、「かったるいなあ」がメイン感情ではあったものの、「憧れのキャンパス・ライフ」というのにわずかでも接することができたのは、マイナスにはならなかったような気がするのです。記憶しているのは、東大の学食が閉まっていたこととか、有名な「東大の赤門」は間近でみると「ガッカリ観光地」みたいだったとか、慶応の図書館に本がたくさんあったこととか、どの大学も学生は一見普通の人だったこととか。
 まあ、中には「絶対東大に入る!」と固く決意した同級生もいたようですから、それなりに意義のある経験ではあったのでしょう。
 僕は当時の学力からして、このレベルの大学には縁がないと悟っていたので、「ここが、あの東大か…」なんて、一生に一度ガンジス川に沐浴に来たインドの人のような心境で、物見遊山していたわけなのですが。でも、「俺は東大に行ったことがあるんだ!」というネタに使えるというメリットもなくはないです。
 そのなかで、僕がいちばん印象に残ったのが京都大学でした。緑豊かな古都の格式あるキャンパスは、非常に印象深くはあったのですが、実際に僕の記憶に残っているのは、「とにかく京大は暑い!」ということ。そもそも、盆地で夏の暑さには定評がある京都に、真夏に行くこと自体が問題なのではないかと思いますけど。
 おかげで、「こんな暑いところにある大学には通えない!」という情報がインプットされてしまい、結局、某地方大学に落ち着いてしまった、というわけです。
 あのとき京都がもっと涼しかったら、僕のモチベーションももう少し上がっていたのかもしれないのに…
 
 ところで、その「大学めぐり」は、あまりに「娯楽性に乏しく、生徒がかわいそう」ということで翌年からは廃止され、僕の後輩たちは「いやー、めんどくさいですよ海外なんて!」とか言いながら、日本を脱出していきました。まったくもって、向学心のない後輩たちです。

 でもなあ、広島の原爆資料館とか京都の古寺とかいうのは、こういう機会に一度は見ておくべきなんじゃないか、という気もするんですよね。大学訪問は、高校生くらいになれば、自力でできるだろうし。
 「この大学に入りたい」という動機づけと、「こういう原爆の被害を繰り返さない、平和な世の中をつくりたい」という動機づけ、どちらが将来にとって大事なんでしょうね…

 もちろん、僕だって自分が高校のときは、「もっと面白そうなところがいいな」としか考えていなかったけれど。