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2004年09月14日(火)
されど、われらがチェッカーズ。

スポーツニッポンの記事より。

【元チェッカーズのドラマーで先月17日、舌がんで亡くなった“クロベエ”こと徳永善也さん(享年40歳)を送る会が13日、東京・新木場のスタジオコーストで行われた。チェッカーズの残りのメンバー6人全員が解散以来12年ぶりに集結したが、高杢禎彦(42)と鶴久政治(40)は発起人に名前を連ねることができず、記者会見も別々。旧メンバー同士の確執があらためて浮き彫りになった。

 かつての仲間たちの確執を、天国の徳永さんはどんな気持ちで見ていたのだろうか。先に会見を開いたのはリーダーの武内享(42)と藤井フミヤ(42)、藤井尚之(39)、大土井裕二(41)の4人。フミヤは高杢らとの確執について「ないと言ったらうそになるし、大きいのは本(高杢が昨年6月に刊行した自叙伝“チェッカーズ”)のこと。高杢は高杢でがんで大変だったんだろうけど…」と不仲を認める発言。「“でたらめの本だから読まないほうがいいよ”と人に言われたから読んでいない。溝にならなかったと言ったらうそになる」と語った。

 フミヤと高杢は保育園からの幼なじみだったが、92年の解散をめぐって言い争いとなり絶縁状態に。高杢は自叙伝の中で、のどを痛めていながら外を出歩くフミヤについて「他人に迷惑かけることでもバレなければ、自分のやりたいことはソッと隠れてやる。こういう性格にもう俺(おれ)は我慢ができなかった」などと痛烈に批判した。この日、リーダーの武内は「解散して12年もたつと付き合いもなくなるし、会わなくなった」と説明。再結成の可能性を「クロベエがいないから…」と否定した。

 一方の高杢と鶴久は、この直後に会見。高杢は「(確執は)僕的にはない。自分としては自叙伝であり、自分の思いや家族への思いを書いた」と弁明。発起人に名前がないことに「発起人っていうか、こういう会見に6人で並べないのが残念」と唇をかんだ。2人は前日の12日まで、発起人に並べてくれるよう武内と交渉したがかなわず。鶴久は「(会場の)中にいたし、天国からみれば6人一緒だと見てくれると思います」と複雑な表情で語った。】

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 チェッカーズのデビューは、1983年の9月21日、「ギザギザハートの子守唄」でした。翌年1月発売の「涙のリクエスト」が大ヒットとなり、その後は出す曲のすべてが大ヒット、映画まで作られたりして、まさに「一世を風靡した人気グループ」だったのです。
 まあ、僕も今となってはこんなふうに「歴史的事実」としてチェッカーズを思い出すことができるのですが、中学生で、リアルタイムにチェッカーズを観ていたころの僕は、クラスの女子がみんな「フミヤー」とか言っているのに、「ケッ、なんだよあのチャラチャラした連中は!」とか内心毒づいていたものです。まあ、時代のならいというやつで、あんなに「チェッカーズ嫌い」だったはずなのに、今でもチェッカーズの曲がカラオケで流れてくれば、ちゃんと歌えてしまう自分に唖然とするのですが。

 しかし、「チャラチャラしやがって」と思っていたのは、実は、僕たち「アイドルを妬む男ども」だけではなかった、ということを後で知りました。
 解散後のメンバーのインタビューなどで、チェッカーズのメンバーたち自身も、「自分たちはロックをやっていたはずなのに、あんな派手な格好でアイドルみたいに売り出されたのは本当にイヤだった」と告白していたのです。
 まあ、結果として彼らは大成功を収めましたし、活動期間が長くなるにつれて、少しずつ自分たちのスタイルを出せるようになってきたみたいなのですが。

 そんなチェッカーズも解散後はフミヤさんは相変わらずの活躍ぶりなのですが、他のメンバーに関しては、あんまり名前を聞かないなあ、という印象でした。メンバーのうち2人が癌による闘病生活余儀なくされるなど、本人たちにとっても、最近は不幸続きだったのではないでしょうか?
 高杢さんの「告白本」については、ここに引用されている内容の【のどを痛めていながら外を出歩くフミヤについて「他人に迷惑かけることでもバレなければ、自分のやりたいことはソッと隠れてやる。こういう性格にもう俺(おれ)は我慢ができなかった」などと痛烈に批判した。】というのは、確かにひどい人格攻撃なのですが、そういった「性格の不一致」みたいなものの他にも、不和の原因には、表に出せない事情があったような気もします。ひょっとしたら、「フミヤばっかりいいとこどりしやがって!」というような嫉妬もあったのかもしれないし。

 今回の「徳永さんを送る会」にしても、こういう傍からみれば「いびつな状況」になってしまったのは、おそらく、徳永さんは「フミヤさんグループ」だったからだったのでしょう。もし徳永さんがもともと「中立」であったならば、どちらかのグループが締め出されることはなかっただろうし(逆に、誰も「送る会」とかやってくれなかった可能性もありますけど)。
 とはいえ、こういう席でまで、そういう確執を引きずるのは、伝統的な日本人の「死せる者への感情」からすると、ちょっと悲しい気持ちになるのも事実。
 すべてのケースがそうではないにしても、親の葬式には勘当された息子も来る、というような状況を多くの人が望んでいるはずですし。
 そういう意味では、「故人のために、表面だけでも全員揃って送ってあげるべき」なのか、それとも「故人の遺志を尊重して、裏切り者(?)を排除すべき」なのかというのは、非常に難しいところです。
 赤の他人としては、「フミヤのプロ意識の欠如も若くて遊びたい盛りだったんだろうし、暴露本も闘病生活で自分の思いを遺しておきたくて、金も必要だったんだろうから、お互いに水に流すことはできないのかなあ」なんて思いもあるんですけどね。
 とはいえ、実際に公の場で悪口を言われた側としては、しこりが残るのも当然でしょう。ケンカ別れしたのだとしても「昔の仲間」であればなおさら許せなくなる気持ちもわかります。
 
 それにしても「送る会」が「チェッカーズの元メンバー同士の縄張り争い」みたいに報道されるのは、どう考えても不自然なことですが。

 彼らが大スターにならなければ、ひょっとしたら「昔はバンドやってたよなあ」なんて仲良く酒を酌み交わすような、そんなオッサンたちになっていたのかもしれません。結局、一度大スターになってしまうと、売れなくなっても、解散しても、命を落としても「元チェッカーズ」。その栄光とレッテルをずっと引きずる人生。

 もし天国というところがあるのなら、徳永さんは、「もう、『元チェッカーズ』はやめてくれよ…」とかぼやいているかもしれませんね。