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2004年06月07日(月)
「偉大なる大統領」ロナルド・レーガン

日刊スポーツの記事より。

【旧ソ連との本格的軍縮と冷戦終結に道を開いた米国の第40代大統領ロナルド・レーガン氏が5日午後(日本時間6日未明)、カリフォルニア州の自宅で死去した。93歳だった。アルツハイマー病を患い、米カリフォルニア州の自宅で療養していた。

 保守主義に基づく「強い米国」の象徴として2期8年を全うした。楽観主義を振りまき「グレート・コミュニケーター(偉大なる対話者)」と呼ばれ、引退後も高い人気を維持してきた。

 ブッシュ大統領は5日、訪問先のパリで「米国を回復させ、世界を救った偉大な米国人が去った」と弔意を示した。ワシントンで国葬が営まれるが、日程は未定。

 レーガン氏はハリウッドの映画俳優から政界に転身。カリフォルニア州知事を経て、1980年11月の大統領選で共和党から出馬。現職のカーター大統領(民主党)を破って当選、史上最高齢の69歳で大統領に就任した。

 ペレストロイカ(改革)路線のゴルバチョフ氏がソ連共産党書記長に就任したのをとらえて包括軍縮交渉を開始。87年12月に「中距離核戦力(INF)廃棄条約」に調印し、本格的な核軍縮を達成。緊張緩和の流れを決定的にした。】

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 レーガン元大統領の病状が思わしくないことは、これまでにも再三報道されてきましたし(パーキンソン病で、ナンシー夫人のことも誰だか理解不可能な状態、というようなことも言われていました)、93歳という年齢もあって、この訃報を耳にしたときの僕の印象は「そうか…」という一抹の寂しさとある種の納得が入り混じったものでした。しかし、その後のさまざまな取り上げられ方を観ていると、ロナルド・レーガンという大統領は、僕が抱いていたイメージよりもはるかに、世間に(とくにアメリカの人々に)とっては、「偉大な大統領」だったのだなあ、と感じました。
 レーガン大統領の任期は、1980年から8年間ですから、僕にとっては、「政治」というものをなんとなく意識し始めた時期から、大学に入る前、という時期でもありましたし、高校の寮で聞いた「ベルリンの壁が崩壊した!」というニュースには、本当に驚いたものです。当時は、「俳優上がりで『強いアメリカ』ばかりを謳っている、やや時代錯誤気味のオッサン」というのが、僕の正直な印象でしたし、中曽根元首相との「ロン・ヤス」なんて、馴れ馴れしい人だなあ、なんて軽薄さすら感じていましたから。
 冷戦時代の終焉は、レーガン大統領とソ連のゴルバチョフ大統領の活躍が、もちろんあったとは思いますが、貢献度に関しては、ゴルバチョフ>レーガンのような気がしますし、ある意味「時代に恵まれた人」だったのかもしれないなあ、なんて思います。共産主義の崩壊は、思想的な行き詰まりというよりは、経済的な要因が大きかったわけですし。

 しかしながら、僕の中で「アメリカの大統領」というイメージを映像にしてみると、その演壇に立っている人の顔は、ロナルド・レーガンに似ているような気がします(次点はクリントン)。アメリカでは、ケネディやリンカンーン、ワシントンという偉大な大統領に並ぶ評価をされているのだとか。
もちろん、まだ記憶が生々しい時代と「歴史」の一部とでは、比較のしようがないところもあるのですが。
 リアルタイムでの日本にとってのレーガン大統領は「アメリカの都合」を押し付けてくる、「アメリカ至上主義者」である一方で、日本という同盟国に対して、例の「いかにもアメリカ人」な明るくて希望に満ちた表情で、「友人」として語りかけてくる存在だった気がします。
 少なくとも、そんなに「凄い大統領だ」というイメージではなかったのになあ。
 そこが、「愛される理由」なのかもしれないけれど。

 今朝のテレビで、当時の中曽根首相と会談した場所の地元の人が、この訃報に対して、こんなことを言っていました。「役者上がりなのに、大統領にまで偉くなられて、本当に凄い人だと思います」就任時には、レーガン大統領が「B級のハリウッド俳優出身」であったことは、さんざん笑いものにされていたような記憶があるので、歴史というのは、人間の評価をこういうふうに変えていくものなのだな、なんて感慨深く感じました。豊臣秀吉も、当時の人にとってはこんな感じだったのでしょうし、田中角栄という人も、しだいに立志伝中の人物になりつつあるようですし。

 僕の中では、好き嫌いは別として、いちばん「自由の国・アメリカ」の大統領らしい大統領だったと思います、レーガンさんって。自由の国といっても、ケネディ家とかブッシュ家みたいな「名門」じゃないと、なかなか大統領になれないのは、日本もアメリカも同じだから。