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2004年05月20日(木)
すきだったひと。

「毎日かあさん」(西原理恵子著・毎日新聞社)より。

【秋雨がふっているなか、入院中の元夫にあいにゆく。

西原「またお酒飲んだんだ。このあんぽんたんが」

元夫「かあしゃ」
西原「もうお母さんじゃないっ」

いちどはなした手は、もいちどにぎると、かるい。

元夫「もう行っていいっ」
西原「なんで?」
元夫「はずかしいからっ」

(病室から出て行く西原さんに)

元夫「もうねっ お酒やめるからねっ」
西原「うそつけっ」

(降りつづく雨の中を帰りながらの独白)

すきだったひとをきらいになるのは むつかしいなあ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 文章だけ抜き出してしまったのですが、この「すきだったひとをきらいになるのは むつかしいなあ」という言葉のやるせないニュアンスは、西原さんの絵がないとうまく伝わらないものだと思います。機会があったら、ぜひ読んでいただきたいです。

 西原さんの元夫は、それなりに有名な戦場カメラマンだったのですが、お酒によるトラブルなどもあったようで、夫妻はは離婚という選択をし、2人のお子さんは西原さんが(お母さんと一緒に)育てておられるそうです。もちろん「2人が別れた本当の理由」なんていうのは、当人たちにしか(あるいは、当人たちにすら)わからないものなのでしょうけど。

 たぶん、世の中には「すきだったひとをきらいになる」というのを「そんなに難しくない」と思う人と「難しい」と思う人がいるのだと思います(さすがに「簡単」はいないだろうから)。それはもう、その人の性分みたいなもので、「時間が経てば経つほど愛着が湧いてくる」という人もいれば「飽きてくる」という人もいるのと同じことで。
 僕は、「あまり人を好きになることもなければ、嫌いになることもない」という傾向があるのですが、そういう人間にとっては「一度好きになる」というのは、ものすごく大きな意味があって、その人を「自分にとって特別な人間」だと認識する、ということなのです。なかなか好きにならないかわりに、一度好きになったらなかなか嫌いにならない、というより、嫌いになれない。
 逆に、「一度会ったら友達!」みたいなタイプの人は、こんなふうに感じることは少ないのではないかなあ。
  
 「誰かを好きになる」というのは、本当に難しいことだし、「好きだった人を嫌いになる」というのも、とても難しいことです。たぶん、「イヤだと思うようになったところも含めて、好きだった」のだろうし、変わってしまったのは、自分のほうかもしれないのだから。

 「それなら、嫌いになんかならなくてもいいんじゃない?」確かにそうかもしれません。
 でも、「嫌いになれたらラクになれるのに」と思うような状況だって、生きていればあるのです。
 なのに、そういうときに限って、キライになれない。
 心って、本当にもどかしくてやるせない。