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2004年03月21日(日)
「テレビ時代」のドリフターズ

「だめだこりゃ」(いかりや長介著・新潮文庫)より。

(いかりや長介さんが「笑い」について書かれたものをいくつか)

【いまからおもえば当たり前のことのようだが、「テレビにおける笑いの芸」ということについて、まだ誰も気づいていなかったのだ。テレビでの笑いは、古典落語のように「あいつの『らくだ』は、いつ聞いてもいいね」とはならない世界なのだ。飽きられるのが早く、常に新鮮さを求められる。

(中略)

 テレビの消化力の強さを、テレビ局の人間も気づいていなかったとおもう。同じネタでも、違う局の番組でやれば、その局のスタッフははじめて見るネタだから、彼らにはウケるのだ。芸人は「あ、まだウケる」とおもってしまう。芸人は同じネタでいい、局の視聴率稼げるからありがたい、お互いに「これはおいしいぞ」とおもっていただろう。ところが、見る側からすれば、チャンネルが4でも6でも8でも10でも同じこと、「あ、また同じネタだ」となるだけだ。これは早晩飽きられるなと気づいた。
 よし、ジャズ喫茶もテレビも一緒だ、ドリフは新ネタを武器にしようと決めた。】

【「いかりやは作家の台本をまるで採用しない」「ディレクターを信用しない」「全部一人でやりたがる独裁者」「鬼だ、蛇だ」「金をかすめとってんじゃねえか?」という風評が立った。何をかいわんや、である。私はいつでもネタに追われていた。追いまくられていた。ゼエゼエいっていた。フーフーいっていた。ネタを書き、舞台にのせるまでつくりあげる作業を他人にやってもらえるなら、こんなに楽なことはない。
 だが、作家の書いてくる本、ディレクターのつける演出は、それぞれよく考えられてはいたが、やはり「頭で」考えられたものにすぎない場合が多く、そのまま客の前にかけられるものではなかった。だからどうしても、一度分解し、再構築する作業が必要になったのだ。我々、演じ手は失敗すると次の日から街を歩けなくなる恐怖が常にあった。「ウケないかもしれないけどやるだけやってみようよ」というようなネタではダメなのだ。一度こっきりの生本番なのだ。「この次」がないのだ。裏方と演じ手の危機感の違いがそこにあったのだと思う。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕は、かねがね疑問に思っていたのです。
 どうして、「お笑い」の人たちは、テレビのレギュラー番組などでは、「狂言回し」の役になってしまって、自分たちのネタを披露することがほとんどないのだろう?って。
 でも、こうして「ドリフターズのリーダーでありブレーン」であったいかりやさんの言葉を読むと、「テレビの消費力の怖さ」をあらためて感じました。
 舞台であれば、その場のお客さんだけを相手にすればいいわけですから、練りに練ったネタを繰り返し演ってもみんな喜んでくれるでしょう。その代わり、一度にたくさんの人を笑わせることはできませんが。
 でも、テレビで一度やったネタは、もう「どこかで観たことがあるネタ」になってしまうんですよね。
 芸人にとっては、「テレビでネタをやること」というのは、大きなチャンスであると同時に「商売のタネをひとつ潰してしまう」ことでもあるのでしょう。
 ドリフターズは、昨日書いた、いかりやさんの述懐にもあったように「特別の才能を持たない人間の集団」だった(と、当時のいかりやさんは認識していた)ために、「消費されても、常に新しいネタを出し続ける」ということを武器にして、テレビ時代を生き抜いてきたのです。
 それを16年間も毎週続けてきたというのは、ある意味奇跡的なこと、なのかもしれません。
 ドリフターズの「笑い」というのは、ほとんど「計算された笑い」でした。コント55号がアドリブ(あるいはアクシデント)を得意にしていた野に対して、「自分たちには才能が無い」と感じていたいかりやさんは、「とにかく考えて、計算していく」ことによって、対抗していくことにしたのです。
 萩本欽一さんは「素人いじり」を得意にしていましたが、僕の記憶では、ドリフのステージに素人が上がったのを見たことがありません(いわゆる地方の「営業」とかでは、どうだったかはわかりませんが)。「笑い」に関しては素人の芸能人も出演していましたが、ネタについては、かなり入念にリハーサルをやっていたみたいですし、要所要所はメンバーが締めるようになっていました。

 いかりやさんは、本当に「真面目に笑いと向き合っていた人」なのだなあ、とあらためて感じます。そして、16年間、自分の中の臆病な面とも闘っていたのだろうなあ、と。「独善者」「鬼」「蛇」なんて言われながら、ずっと「テレビに出るのが怖かった普通の人」という一面を持ち続けてきたのでしょう。

 いかりやさんの訃報を聞いたとき、僕はちょっと不謹慎ながら、「最初はグー、またまたグー、いかりやちょーすけ、頭はパー」というギャグを思い出しました。
 あの頃は、本当に「いかりや長介の頭はパー」だと思っていたのにね。