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2004年01月21日(水)
先生が教えてくれなかったこと。

毎日新聞の記事「教育の森」の中のコラム「学校と私」での漫画家・柴門ふみさんのインタビュー「ユニークな担任との出会い」より。

【高3の担任だった男性の先生はとてもユニークな人でした。化学が担当で、授業でいきなり自分の手に硫酸を塗って「ほら黄色くなっただろう。これがキサントプロテイン反応だ」と説明して、あわてて手を洗いに行くんですよ。また男子に「卒業する時に、性病に絶対うつらない方法を教えてやる」って約束したりね。
 でも先生は、卒業も近い2月に学校で倒れて急死してしまいます。お葬式ではみんなで泣きました。慕っていましたから。同窓会を開くと今でも必ず「絶対うつらない方法ってなんだったんだろうね」という話が出ます。】

〜〜〜〜〜〜〜

 どうしてこういうふうに、「聞けなかった言葉」というのは、ずっと記憶に残ったり、ものすごく気になり続けたりするんででょうか?
 僕の予測では、たぶん、この先生の「性病に絶対うつらない方法」というのは、「セックスしないことだ」とか、そういう単純かつバカバカしいものだったんじゃないかなあ。
 本当にその「答え」を聞けていたら「先生、なんだよそれ〜」とみんな拍子抜けしてしまうような。
 でも、そういうのって、周りのみんなも本当はわかっているはずなのです。
 それでも、いや、それだからこそ、その「答え」を本人の口から聞けなかったのが心残りなんだろうなあ、なんて僕は思います。
 本当は「性病に絶対うつらない方法」なんて、どうでもいいことで(どうでもよくはないか…)。

 この世界にはきっと「その人が早逝してしまったために、よけいに忘れられなくなってしまうこと」というのが、たくさんあるのではないでしょうか?
 尾崎豊の曲やセナの走り、夏目雅子さんの三蔵法師、アンディ・フグのかかと落とし…
 「失われた人」の「失われた言葉」というのは、ひどく人間を感傷的にさせるものです。でも、それは「失われたもの」のはずなのに、ずっと他人の心に残っていく。
 たぶん、「バカバカしいオチのある話」だったんだろうけど、感傷的な記憶とともに。

 亡くなられた先生も、こうして生徒に覚えていてもらえるのは、先生冥利に尽きるのかもしれません。
 それとも、天国で「どうせだったら、もっとマシなことを覚えていてくれよ」と苦笑されているのかな。