初日 最新 目次 MAIL HOME


活字中毒R。
じっぽ
MAIL
HOME

My追加

2003年09月09日(火)
マンガの生原画は、誰のものなのか?

毎日新聞の記事より。

【弘兼憲史さんや渡辺やよいさんら人気漫画家の生原画が、倒産した出版社から大量に流出し、漫画専門店で売られていることがわかった。被害にあった漫画家らが結成した「漫画原稿を守る会」が8日、東京都内で会見し、流出原画の返却などを訴えた。

 流出したのは、「さくら出版」に預けられた原画で、同社は昨年12月に倒産。今年5月、渡辺さんの原画約1000枚が中野区の漫画アニメ専門店で売られていることがわかり、渡辺さんが、さくら出版から持ち込まれたのを確認した。弘兼さんらの原画もみつかった。「守る会」によると、同社から返却されていない原画は20人以上の約8000枚にのぼる。】

〜〜〜〜〜〜〜

 人気漫画家の「生原画」っていうのは、ファンにとっては垂涎の的なわけで、今回のこの事件で、自分の原画が知らないところで商品として売り飛ばされていることに対する弘兼さんや渡辺さんの憤りは、当然のことだと思われます。
 もう8年くらい前のことなのですが、僕はマンガ家(なんて書かなくても、みんな知っているとは思うけれど)鳥山明さんの作品展を観に行ったことがあります。
 実際の生原稿というのは、ものすごい迫力があるもので、線の強弱やトーンの濃淡、モデルとなった写真との比較などをみていると、書いた人間の息遣いが伝わってくるような感じがしました。
 中でも驚いたのは、マンガの線というのは、(当たり前のことなのですが)ほとんどが1本1本手書きで、「真っ直ぐな線」というのが存在しないんですよね。一見滑らかに見える線でも、手書きですから、よく見ると微妙に曲がっていたりぶれていたりするのです。
 また、そういうのが機械的に引かれた線より、絵に温かみを与えているような気がしました。

 ただ、日本の出版界の伝統として、マンガの生原稿というのは、けっこうぞんざいに扱われてきた、という一面もあるのです。
 以前読んだ本によると、太平洋戦争後に多数創刊されたマンガ雑誌では、生原稿を細かく切って「読者プレゼント」にすることが、作者の許可など無く、ごく当たり前に行われていたそうです。
 もちろん、当時はマンガの地位自体が低くて、生原稿そのものは金銭的価値がほとんど無かったらしいのですが。
 そのおかげで、散逸してしまって復刻できない作品も少なくないのだとか。
 マンガはいまや、日本を代表する文化でもありますし、小説の原稿のほとんどがワープロになってしまった現在、原画は貴重な資料でもあると思われます。
 ただ、今回の件では、もう売られてしまったものを購入者に「返せ」というのは難しそうですし、今後の新しいルール作り、というのが目的なのかもしれませんが。
 戦後の「細かく切って読者プレゼント」の時代から、曖昧になってきた部分の確認、という意味で。

 でも、なんとなく、好きなマンガの生原稿の切れ端をもらって喜ぶ子供たち、という時代に共感する気持ちも捨てきれないような気もするのです。
 大部分のマンガというのは、「大勢の人に消費されてこそ価値がある」文化のような印象がありますし。
 
 本当に難しいのは「原画に値段が付くような作品」を描くこと、ではあるんでしょうけど。