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2003年09月07日(日)
「お姉さんの時代」は、そう簡単には終わらない。

「まだふみもみず」(壇ふみ著・幻冬舎文庫)より抜粋。

【私の母は私よりずっと寛容だから、孫に自分のペンダントをゆずったりする。
「わあ、きれい!」と、姪は目を輝かせる。
「でも、本当にもらっちゃっていいの?おばあちゃん、いらないの?」と、さかんに心配するので、「だって、おばあちゃん、もうそういうのしないでしょ」と請け合った。
 姪は一瞬、不思議そうな顔をしたが、すぐに大きくうなずいて、「そうよね、おばあちゃん、『お姉さんの時代』終わっちゃったもんね」と言った。
 姪はときどき鋭い文学的センスを発揮する。
 私が思わず「アハハ」と笑うと、姪はペンダントから私に視線を移し、キッパリと言った。
「アンタもでしょ」
「お姉さんの時代」は、そう簡単には終わらない。しかし、そのことを姪に理解してもらうには、あと三十年待たねばならない。】

〜〜〜〜〜〜〜

 いきなり年齢の話をしてしまうのは不躾だとは思うのですが、この文章を書かれたときの壇さんのご年齢は、40歳代半ばです。

 「人間は、年齢によって変化していくもの」というのは、ひとつの事実ではあります。食べ物の好みや物事についての考え方。
 たとえば、年をとって歯が弱れば「固い食べ物は苦手」になるでしょうし、自分が立っているのがキツイ状況になれば「席を譲らない若者はけしからん!」という気持ちになるのが普通です。
 実際、将来の年金のことを心配している幼稚園児なんてのは、ほとんどいないでしょうし、ビールなんて、子供が飲んでも「苦い!」だけの飲み物でしょうから。

 ただ、その一方で、人間というやつは、周りがみているほど自分の年齢を実感できていない生き物なのではないかなあ、という気もするのです。
 僕も30代前半になるのですが、じゃあ、20代と何が違うのか?と問われたら、階段上がるのが面倒になったとか、お腹の贅肉が気になる、とか、酒の肴のような食べ物が好きになってきた、ということくらいのものです。
 実際、階段上がるのは、昔から面倒ではあったのですが。

 子供からみたら、30歳は立派な「大人」であり「オジサン」です。
 でも、自分がその年齢になってみると、自分ではまだ「お兄さん」くらいのつもりなんですよね。
 別に若作りとかいうのじゃなくて、実感として。
 自分が年を取ったというよりは、周りに自分より子供な人が増えてしまったために、仕方なくオトナの役をやらされているような感じ。

 僕はなんとなく、自分が60になっても、70になっても、ずっとこんな感じなのではないかなあ、と危惧しているのです。
 ずっと、自分では「お兄さん」のつもりの「お爺さん」。
 それとも、いつか、ペンダントを気持ちよく孫に譲れる日が来るのでしょうか?

 実際は、壇さんのお母さんも、内心煮え切らないまま、ペンダントを孫にあげているのかもしれません。「おばあちゃん」を演じるために。
 この文章を読んで、「あなた(壇さん)も、あと三十年待たないとわからないみたい」なんて、思ったのではないかなあ。

 いくつになっても、そんなに簡単に悟れるものではないですよね、きっと。
 それがわかるようになっただけ、僕も年をとったということなのかな。