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2003年01月20日(月)
「週刊朝日」の不可解な謝罪姿勢。


毎日新聞の記事より。

【北朝鮮による拉致被害者の福井県小浜市の地村保志さん(47)、富貴恵さん(47)夫妻に聞いた話が地村さん側の意向に反して週刊朝日(朝日新聞社発行)に掲載された問題で、同誌は1月31日号(21日発売)に1ページを割いて、地村さん側の主張を全面的に認める鈴木健編集長名の謝罪記事を掲載した。保志さんの父保さん(75)は20日、同市を通じ「仕方なく了解するが、今後、このようなことが二度とないよう厳重に注意してほしい」との談話を発表した。

 週刊朝日側は当初「(地村さん側から)取材の承諾を得た」としていたが、謝罪記事では取材の経緯を明かし「全体のやりとりを踏まえると、承諾していなかったことは明らか」と主張を覆した。取材した記者が無断で会話をテープに録音していたことも認めた。

 朝日新聞社の内海紀雄・専務広報担当は「取材は基本ルールを逸脱し、信義に反するもので、ご夫妻らに多大なご迷惑をかけ、心からおわびします。また、読者の信頼を損なう結果になり、申し訳ありません。関係者を厳しく処分し、再発防止に努めます」などとする談話を出した。】

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 「書かない」と約束して書いたのですから、「週刊朝日」の今回の記事については、まったく弁護の余地はないと思います。
 でも、僕はこの謝罪記事について、ちょっとひっかかるところがあるのです。

 「週刊朝日」に限ったことではないのですが、マスコミだって構成員は人間なのですから、あってはならないこととはいえ、誤報やミスはありうることでしょう。
 でも、今までのこういった記事で、1ページにもわたって謝罪文が掲載され、編集長が平謝りしたケースがそんなにたくさんあったでしょうか?
 僕の記憶の限りでは、マスコミの「おわびの記事」というのは、ほんとに「どこにあるかわからない」「なるべく目立たない」ようなものがほとんどです。

 たとえば、松本サリン事件で犯人呼ばわりされた河野義行さんに対して、彼を犯人呼ばわりしたメディアは、その犯人扱いの記事と同等のスペースを彼の人生を台無しにしてしまった記事の謝罪のために費やしたでしょうか?

 事の深刻さという点では、河野さんのケースのほうが、「オフレコ」という約束なのに掲載されてしまった拉致被害者の方々の談話(雑談に近いもの)より、はるかに上だと思います。
 にもかかわらず、今回の件においては、「週刊朝日」は、謝罪の記事に1ページを費やしました。河野さんのときは、冤罪の主犯だったメディアの謝罪は、ほんの小さな囲み記事だったのに。

 一度人間が受けた心の傷は、謝罪記事などで埋まるはずがありません。
 でも、少なくとも報道被害にあった人に対して、1ページの記事で報道したのなら、10ページの謝罪をするくらいでないと、まっとうなメディアと認められないような気がします。あんな小さい謝罪記事なんて、誰も見つけられないって。
 
 「一個人の人生を台無しにしても、困るのはその人だけだからいいや。でも、今の状況で拉致被害者たちを敵に回すと、読者から反感を買って、バッシングされちまうからなあ…とにかくここは、平謝りしとこうっと」そんな「週刊朝日」の打算的な心の声が、聞こえるような気がするのです。
 
 「ペンは剣より強い」本当にそう思っているならば、その「剣より強い」武器で人を傷つけた者は、相応の報いを受けるのが当然ですよね。

 次の謝罪記事、楽しみにしています。