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2003年01月09日(木)
新幹線に、まだ「ビュッフェ」があった頃。


朝日新聞の記事より。

【東海道・山陽新幹線の車内で、総菜や弁当などを販売している「カフェテリア」が今秋、廃止される。高速化が進み、所要時間が短くなるにつれ、座席を離れて買い物に出向く煩わしさが敬遠され、売り上げが減ったためだ。食堂車も00年に姿を消しており、車内はワゴン販売や一部の車両に設置された自動販売機が中心になる。時代とともに新幹線の食事情も変わりつつある。 】

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 東海林さだおさんの食べ物エッセイには、食堂車を扱ったものや駅弁を取り上げたものが沢山あります。僕が心に残っているのは、駅弁を食べる人を描写した一節で、「駅弁を食べる人は、不思議なことに電車が止まると箸を止めて食べるのを止め(食べるという行為は、停まっているときの方がはるかにやりやすいにもかかわらず)、電車が動きだすのを待ってまた食べはじめる」というような話でした。
 動いているところで落ち着いて食事をするというのは、実際、けっこう珍しいことですよね。
 それもまた、旅情のひとつ。

 僕がいちばん最近新幹線を利用したのは、一昨年の秋。
 仕事で京都に往復したのですが、そのときには、食堂車という存在が無くなってしまっていることすら気付きませんんでした。
 子供のころは、家の近くに新幹線の駅があって、もう少し頻回に新幹線に乗っていた記憶があるのですが、食堂車の記憶といえば、やたらと混雑していて、カレーの値段がものすごく高くてびっくりした(でも、その割にはそんなに美味しくなかった)というくらいしかありません。

 実際、乗客としての立場では、新幹線のカフェが無くなってものすごく困るという人はほとんどいないと思います。今では駅の近くのデパートで平均的な駅弁より良質で温かいお弁当を安価で買うことができますし、コンビニで買い物をしてから列車に乗れば、とくに不便もありません。
 せいぜい、冷えたビールが呑みたいときに車内販売があればいいかな。
 それに、ガマンしようと思えば、「のぞみ」であれば東京−大阪間は2時間もかかならいくらいですから、目的地まで辛抱することだって、そんなに難しいことではないでしょう。

 いまや「食堂車」とか「駅弁」というのは、必需品ではなくて、旅情を味わいたい人のための嗜好品となってしまっているということなんでしょうね。
 「食堂車(僕が子供のころは「ビュッフェ」とか言ってました、そういえば)が消えてしまうのは寂しいけれど、これもまた、時代の流れなのかな。どこでもドアが実用化されるようなことがあれば、旅情も何もあったもんじゃないでしょうし。

 今に「食堂車で移動中に食事をするというツアー」とか「車内で駅弁を食べるツアー」なんてのが、出てくるんじゃないでしょうか。
 現代は、時間をかけて旅をするということが、むしろ贅沢になった時代なのですね。

 でも、無くなるとわかっていたら、もっと行っておけばよかったかなあ、などと、子供時代の食堂車に行く興奮を想い出して、少しだけ感傷的な気分に浸ったりもするのです。