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2002年10月30日(水)
2002年10月30日。


 「新『親孝行』術」(みうらじゅん著・宝島文庫)より抜粋。

(みうら氏が推奨する「親孝行プレイ」には、信頼できる寿司屋の大将が必要だという話の中で)

【私の個人的な例だが、私の友人で結婚するまで童貞だった男がいた。友としては当然、結婚後の彼の童貞喪失話を聞きたくなるものだ。なので私は彼を寿司屋に連れて行き、「いつやったのか?」「どうだったのか?」と聞いてみた。すると、その寿司屋の大将が突然、私の友人に向かって「そんな都会かぶれした奴の話なんか、聞かなくていいよ」と言ったのである。
 このような「自分の意見を言いたがる大将」がいる寿司屋ほど最悪なものはない。その後の会話も成立しないし、そんな大将の握った寿司など食べたいとも思わないであろう。】

〜〜〜〜〜〜〜

 確かに、これはちょっと嫌ですよね。僕が行く店の第一条件は、値段が適正であることと、衛生的であること。そして、店の人がうるさくないこと、なのです。
 この「うるさくない」のなかには、騒がしくないというのは当然なのですが、「客と必要以上の私語をしない」というのも含まれています。
 たとえば、前に行った居酒屋で、料理は凄くおいしいし、値段もそこそこのところがありました。その店の主人が、隣の席で4人くらいの男のグループと「どこそこのラーメンはおいしい、おいしくない」とかいう話を延々としていたのです。
 僕はもともと、他人と必要以上の口をきくのはすごく辛いほうなのです。
 こっちに何か話しかけてきたら嫌だなあ、と思うともう、早く帰りたくて。
 中には、食べ物屋に店員さんとのコミュニケーションを求めてやってくる人たちもいるんでしょうが、僕はあいにく、そうじゃない。
 偉い人と一緒にいく高級フレンチより、ひとりの吉野家のほうがはるかに幸せなときって、ありませんか?

 料理屋の店員さんは、美味しいものを出してくれて、黙ってテキパキ仕事をしてくれていればそれに越したことはありません。
 よく、タクシーの運転手さんや床屋さんでも、気をつかって話しかけてくれる人がいるのですが、僕はあいにく黙って考え事をしている時間は全然苦にならないんですよね。
 むしろ、運転手さんの子供の話とかに相槌を打たないといけない状況のほうが、はるかに苦痛です。
 何年か前に、近所のコンビニに入って、パンとか飲み物を買ったとき、そこの店員の中年男性に「ひもじかったでしょ?」と親しげに声をかけられて、すごく不快だった記憶があります。
 方言なのかもしれないけど「ひもじい」という言葉自体がなんだか美しくないし、それ以前に「人の買ったものに対して、いちいち干渉しないでくれよ」と思ったのです。「あたためますか?」くらいなら構いませんけど。
 最近終了した「愛の貧乏脱出作戦」で「お客とのコミュニケーション」がものすごく美化されていましたが、実際は、いちいち食べていて感想を聞かれるようなめんどくさい店に行きたくないと思う人、けっこういるのではないでしょうか?
 サービスがいいのと馴れ馴れしいのは、根本的に違うものです。誰彼となく、話しかければいいってもんじゃない。
「家庭的な雰囲気」とかいうけれど、家のよさって、「黙っていることが許される」という面もあると思うのです。

 かくいう僕も、外来で「うちの嫁が…」とか「子供がグレて…」みたいな話を聞くことはあります。内心勘弁してくれよと思いつつですが。
 まあ、そう考えると僕のように「馴れ馴れしくするより、まず自分の仕事をちゃんとしろよ」と思う人間は少数派で、「誰でもいいから、話しかけてくれたり、自分の話を聞いてくれたら嬉しい」という人が多数なんでしょうね。
 
 サービスというのは、他人にとって居心地のいい空間をつくることのはずなのに、過剰なコミュニケーションの強要を「サービス精神」だと思い込んで自己満足に浸っている店、けっこうあるような気がします。
むしろ、静寂こそがサービスになる場合だってあるはずなのですが。