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2002年10月27日(日)
2002年10月27日。


朝日新聞の本日(H14.10.28付)の「天声人語」より抜粋。

(チェスの名人対コンピューターの対決の歴史的経過を追って)

【師のカスパロフさんからチャンピオンの座を奪ったやはりロシア人のV・クラムニクさんがこの10月、3週間かけてコンピューター「ディープフリッツ」と対戦した。2勝2敗4分けの引き分けだった。
 ここでもクラムニクさんの微妙な捨て駒作戦が勝敗の岐路だったらしい。「ディープフリッツ」は惑わされずに応じて大事な一番に勝利を収めた。「人間的なチェスをする機械だ」とはクラムニクさんの評だ。ここで人間が負けると、もはやコンピューターにかなわないといわれるところだったが、かろうじて踏みとどまった。】

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 コンピューター・チェスは、もう人間の名人と同レベルの実力を持つに至っています。
 ちなみに、将棋や囲碁では、今のところアマチュアのかなりの上級者レベルだとか。
 最初に「コンピューターと将棋ができる!」と言われた時代とは、まさに隔世の感があります。
 それまでは、「コンピューター将棋」といえば、画面が将棋盤の代わりになるというレベルのもので、コンピューターとの対戦なんて、思いもよらないものだったのですから。
 
 どうして、コンピューター・チェスに比べて将棋や囲碁のほうが、コンピューターの強さのレベルが落ちるかというと、将棋では「取った駒を使える」というのが、かなり戦略の幅を広くしているため、囲碁は、打てる場所が多く、あまりに戦略が多彩なためといわれています。
 チェスは、一度やられた駒は盤面から失われてしまって、相手も自分も使えなくなりますし、ゲームの勝利条件も「相手のキングを詰める」という、比較的直線的なものですから。
 もちろんこれは、ゲームとしての優劣を論じているわけではないですよ。むしろ、シンプルであるが故のメリットって、たくさんあるわけですし。
 
 しかし、この手の記事について語られるとき「コンピューターが人間を超えた!」というような語り口であることが多いのですが、果たしてそれは正しいのでしょうか?

 もうだいぶ前の話なのですが、あるパソコンの(当時は「マイコン」の時代だったような気も)本で、コンピューターのメリットとして(1)計算が速い、(2)「ランダム」に物事を選択することが可能、という2つのことが上げられていました。
 少なくとも、今のコンピューターは、この延長線上にあるわけで、コンピューターそのものは、自律的に思考をできるものではないのです。一時期「ファジー機能」というのがもてはやされていましたが、これも要するに、暖房の設定温度を「3℃上げる」と入力しなければならなかったところを「ちょっと寒い」のボタンを押すと、3℃設定温度が上がるようにプログラミングされているだけで、コンピューターが判断しているわけではありません。
 ただ、入力方式を工夫して、それらしく見せているだけなのです。

 「人間的なチェスをするコンピューター」というのは、要するに「人間的なチェスをするようにプログラミングされたコンピューター」でしかないわけで。

 しかし、こう書いていると、「やっぱりコンピューターは人間にはかなわない」と思いますよね。
 でも、たとえば相手がの恋人や家族の場合、「以心伝心」というか、行動パターンがだいたいわかってしまうことがあるように、将来的には、高性能のコンピューターなら、人間の行動の予測ができるようになるのではないでしょうか?
 だって、まったく情報のない相手の行動パターンはわからないのに、よく知っている相手ではこのような予測が立てられるわけですから。
 
 僕たちは、「人間は機械じゃない!」と考えてしまいがちですが、実際は「人間は、感情というものを自分が持っていると思い込むようにプログラムされた精密機械」と言えなくもないのではないでしょうか?

 しかし、どうせ機械なら、もっとマシなCPUを積んでおいてくれよ、と言いたくはなるんですけどね。いまさら、メモリの増設とかもできませんし。