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| 2002年09月20日(金) ■ |
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| 2002年9月20日。 |
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毎日新聞の記事より。
【死後の冷凍保存で生まれ変わりに挑戦しませんか――。英科学週刊誌ニューサイエンティストは19日、愛読者1人に人体冷凍保存サービスと蘇生のチャンスをプレゼントすると発表した。 同誌の販売宣伝が狙いで、アラン・アンダーソン編集長は「本誌は一般の人に科学への興味を抱いてもらうことを目指しており、人体保存はこの目的にかなう」と話している。 応募者は、今の発売号と今後4週間の計5号のうち、3号分のクーポンを集め、10月30日までに申し込む。当選者が死亡すると、腐敗が進まない液体窒素の中に遺体を保存。将来、科学の進歩で蘇生が可能になった暁には「第二の人生を再開できる」としている。 米ミシガン州の専門施設を使う予定で、通常の費用は2万8000ドル(約340万円)という。冷凍人体の蘇生が可能になるかどうかは科学者の間でも意見が分かれており、実現は保証の限りでない。 死者の復活を信じない当選者のため、ハワイ・マウナケアの天文台から宇宙を観察するという“現世プラン”も用意している。】
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「機械の体での永遠の命と限りある生身の命は、どっちがいいのか?」というのは、かの有名な「銀河鉄道999」のテーマなのですが、人間にとって「不老不死」もしくは「復活」というのは、永遠の夢なんでしょうね、やっぱり。 この企画、なかなか面白いところをついていると思います。SF作品では、コールドスリープからよみがえった主人公は(まあ、この場合は「死後」ですけどね)、蘇った世界とのギャップに苦しみながら、幸せになることが多いのです。 でも、よく考えてみてください。たとえば、エジプトや中国のミイラは、もとは王様だったわけです。生きているときは、下賎のものには、手も触れられない存在。それが、死んでしまって復活を信じてミイラになったばかりに、見世物にされて、子供に「生きてるみたいだねえ…」などと言われてしまうのです。 それに「復活」を信じるのはいいけれど、死んだときのままで復活したとしたら、末期癌で衰弱しきっていたり、高齢で足腰立たなくなっていたら、どうするんでしょうか? そんな状況で「さあ、第二の人生を!」なんて言われても、困んないのかなあ。 蘇生じゃなくて、再生じゃないと、辛いところですね。 生き返れるときは、そんな問題もあっさり解決できる世の中になっているんでしょうか。 そんなことを考えるのも、このあいだ映画「バイオハザード」を観たばかりだからなのかも。
人間にとって、死んでも蘇れるというのは、夢のような話。 難しい問題も多いようだけれど、もし、「銀河鉄道999」の機械人間たちが、あんなにグロテスクでメカメカしい風貌でなかったら、僕も機械の体になりたいなあ、と思ったような気がしますし。
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