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2002年09月01日(日)
2002年9月1日。


宮崎駿監督のインタビュー集「風の帰る場所〜ナウシカから千尋までの軌跡」(ロッキング・オン)より抜粋。

【宮崎「自分が善良な人間だから善良な映画を作るんじゃないですよね。自分がくだらない人間だと思ってるから(笑)、善良な人間が出てくる映画を作りたいと思うんです。
インタビュアー「なるほど。」
 宮崎「やっぱり人間みんな同じだよって言うんじゃなくてね、その善良なこととかですね、それから、やっぱりこれはあっていいことだとか、優れている人がいるんじゃないかとか、自分の中じゃなくても、どっかにそういうものがあるんじゃないかと思う気持ちがなかったら、とても作品をつくれないわけですよね」】

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 宮崎作品は、性善説的なものに裏打ちされているものだと思われていることが多いようですが、このインタビューを聞いてみると、ご本人は必ずしもそういう意識はないようです。むしろ、絶望をしている中での希望を見出したいというスタンスなんでしょうか。
 宗教的なバックボーンに裏打ちされた小説やマンガの中には、読み手にとってはかえってあまりに理想的過ぎて、リアリティを感じえないものがけっこうあるような気がします。宮崎作品が、非現実的なものを描いていながら、理想主義に過剰に陥っていないのは、彼自身の感じている「絶望」がベースにあるのかもしれません。
 よく、オカマさんは本物の女性よりも女性らしい、って言うじゃないですか。ひょっとしたら、宮崎作品に「希望」の要素を僕らが感じることができるのは、「絶望から見上げた希望の像」であるからなのかもしれません。
 それにしても、表現を生業とするには、やっぱりあまり正直すぎてもいけないし、だからといって、あまりに斜に構えすぎてもいけないのかなあ、と思わされます。

 前に、寺山修司の本で「幸福とは、幸福をさがすことである」という言葉を読んだことがあります。絶望しがちな世界から「希望を求めること」が宮崎作品の「希望」の源なのかなあ。