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2002年07月28日(日)
2002年7月28日。



「タイ怪人紀行」(ゲッツ板谷著・角川文庫)より抜粋。

(タイで、何年前かに話題になった「おかまバレーボールチーム」の選手の一人の子供のころの写真を各国の取材陣がすべて借りていったっきり、一枚も返ってこなかったという話を聞かされて)

【昔、テレビ番組の製作会社にいたオレはわからんでもなかった。取材をする者というのは、被取材者に対してその時はとても感謝し、中にはその人柄に感動したりする奴もいる。ところが、その人から何かを借りたりして後で返しに行く段階になると、途端に面倒くさく「ちっ、この忙しい時になんでアイツのところにもう一度行かなきゃなんなえんだよ」てな気分になりがちなのである。今回の例のように、時間が経つと感謝を簡単に重荷に変換してしまう記者や各メディアのスタッフというのは実に多い。
 が、少なくともそれによって1人の人間の過去の記録というのが一枚残らず無くなってしまったのだ。】

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 なるほどなあ、と思います。感謝が重荷になるというのは、実際の生活では、よくある状況でもありますし。
 マスコミに限らず、他人にモノを貸してもらったときには、ものすごく感謝の気持ちを持つと思うのですが、実際、それを返す段となると、面倒になりますからねえ。
 たとえば、レンタルビデオ1本にしても、あれを返しにいくという作業、けっこう面倒に思うことってないでしょうか。「返しに行くこと」には、全然こちらにメリットはないわけですから。それでも、延滞料金もかかるということで、だいたい期日には返しに行くわけですが。

 結局、自分にとってメリットがないことは、やりたくないというのは、誰にでもある感情なんでしょう。ただ、「必ず返します」という約束をしているんだったら、それは必ず守るべきでしょう。
 最近続いている、あまりに悲惨な事件の被害者の人たちの写真、たぶん本人も家族も気に入っていたはずのものなどが、こういうふうにメディアに貸し出され、家族のもとに返ってきてないとしたら、それはとてもひどいことなんじゃないかと思いますし、そういうことが、けっこう行われているんじゃないでしょうか。
 「公共の利益」のために、亡くなられた方のプライバシーを垂れ流すだけでなく、そのひとの大事な記録まで「お蔵入り」にしてしまっているとしたら、許せない話です。
 自分たちの思い上がりや礼儀知らずを「公共の利益」「報道の自由」などの美辞麗句で覆い隠して特別扱いしてもらおうと考えているとしたら、とんでもないこと。
 結局、記者と取材相手というのは、人間対人間なのですから、少なくとも最低限の礼儀をもって、借りたものは返してもらいたいものです。
 メディアへの「貸し出し」について、延滞料金を取ろうなんていう家族がいないからといって、大事な写真が返してもらえないなんて悲しすぎる。