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2002年07月03日(水)
2002年7月3日。

「またたび読書録」(群ようこ著・新潮社)より抜粋。

(「野薔薇幻相」若林つや著より、群さんが抜粋した部分。)

【直木三十五の墓参りを、長谷川時雨、吉屋信子、宇野千代、湯浅芳子など数名と行ったことがあった。当時。アストラカンのコートが流行で、吉屋信子と宇野千代が高価なこのコートを着ていた。
 「吉屋さんといえば何かの寄付の時、長谷川このくらい、次に吉屋さんこのくらいと言われても決してその場で返事はなく、『そうね、考えておくわ』と言い、その額は少なくなるのが常でした。その頃の吉屋さんは流行作家、お金の使い道がなくて困るに違いないと言われていましたが、さすがにコートの生地も仕立てもすばらしく、並んで立っている宇野さんには気の毒でした。】

〜〜〜〜〜〜〜
 僕がこれを読んで思ったのは、吉屋さんって、ケチなんだなあ、とかそういうことじゃなくて、女性というのは(あるいは男性でも?)こういう墓参りのときでも、他人の服装をちゃんと見ているんだなあ、ということです。
そういえば、もう10年以上も前の話になりますが、僕の同級生の女の子とお葬式に参列させていただくことになって、そのときの彼女の喪服姿に、なぜか、すごく綺麗だなあ、と感じたことを思い出しました。
そのときは、こんな状況でそんなこと考えるなんて俺って人間失格!と思い込もうとしたのですが。
ああ、うちの父親の葬式のとき、疲れきって、体調を崩していた母に親戚のおばさんが
「ちゃんと着物を着ないと駄目!」と言っていて、なんだかすごく腹が立ったのも思い出しました。結局、母親は着物を着て告別式に出て、あとで僕に「やっぱり、ちゃんとした格好をしていてよかった…と思うよ」とささやいていましたが。
う〜ん、結婚式ならともかく、お墓参りでも、お葬式でも、みんなけっこうまわりの人の服装を見ている、ってことなんでしょうね。
しかし、あんまりものすごい喪服を着ているひとをみると、いまだに「何しに来たんだろう…」と少しだけ思います。