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2002年03月29日(金)
2002年3月29日。

「日記をつける」(荒川洋治著・岩波アクティブ新書)より抜粋。

【作品の長さについては、ぼくは以前から次のような考えをもっている。四〇〇字詰原稿用紙で「何枚」というとき、次のようなことをこころがけるのだ。
1枚→どう書いても、何も書けない。(週刊誌の一口書評など)
2枚→何も書けないつもりで書くといいものが書ける。(新聞の書評など)
3枚→一話しか入らないのですっきり。起承転結で書く。二枚半あたりで疲れが出るので休憩をとる。(短いエッセイなど)
4枚→一話ではもたないので、終わり近くにもうひとつ話を添える。(エッセイなど)
5枚→読む気になった読者は、全文読む枚数。見開きで組まれることが多く、作品の内容が一望できるので、内容がなかったりしたら、はずかしい。原稿に内容があるときはぴったりだが、内容がないときは書かないほうがよい。「書くべきか、書かないべきか」が五枚。
6枚→読者をひっぱるには、いくつかの転調と、何度かの休息が必要(同前)。
7枚→短編小説のような長さである。ひとつの世界をつくるので、いくつかの視点が必要。(総合誌のエッセイ、論文など)

この7枚以上になると、書くほうもつらいが読者もつらい。読者は読んだ後に「読まなければよかった」と思うことも多い。2、3枚のものなら、かける迷惑は知れているが、7枚ともなると「責任」が発生する、いわば社会的なものになるのである。7枚をこえて、たとえば10枚以上にもなると、読者は「飛ばし読み」をするから、意外に書くのは楽である。読者を意識しないほうが、むしろいいくらいだ。】

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文章の長さについての筆者の見解。もちろん、これは「見開き」とかいう表現が使われているように、活字での刊行物を意識したもので、そのままWEB上の文章にあてはまるものではありませんが。
まあ、短いほうは、なんとなくわかります。ただ、四〇〇字でも書くのはけっこう大変なんだけどなあ、と思うくらいで。
僕などは、長い長い文章を書くと、「ああ、気合の入った文章が書けた!」と祝杯をあげたいような気分になるのですが、読み手からすると、ただ長いだけの文章というのは「読んで損した」と思われるようなものになりがちなんですね。反省せねば。
確かに、僕も読み手としてあまりに冗長な日記は飛ばしてしまいます。
雑誌みたいに「これも値段のうち」なんてことはないし。

ちなみに、僕は「さるさる日記」でも日常雑記を書いているのですが、「さるさる日記」のシステムって、「一日1000字」なんです。(もちろん、分割して書けば、1000字以上の日記を書くことも可能なんですが)
まあ、だいたい一日分を1000字におさめるようにしたいと考えているのですが、1000字というのは、微妙な数字。書きたいことがないときには長すぎるし、書きたいことがあるときには、短すぎる。
「長すぎるのを削る」ような書き方をしていくほうが、たぶんいいものになるんでしょうけど。もしくは、書けないときは、思い切って短くしてしまう、とか。

でも、このリアルタイム性というか、まとまりのないダラダラ感みたいなのが、WEB日記の魅力のひとつなのかもしれませんが。