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2002年03月16日(土)
2002年3月16日。

椎名誠「犬の系譜」(講談社文庫)のあとがきより抜粋。

氷点下50℃くらいのシベリアではライカ犬が前肢を交互に上げ下げしているのを見た。おそらく足の裏があまりにもつめたいので、そうやってしのいでいたのだろう。
 熱いところでも寒いところでも犬たちはたくましく生きているのだな、とあちこち旅行するたびに感心する。そして日本は犬たちにとってまことにしあわせな気候風土だけれど、しかし日本の犬はむしろかなしいな、と思うことがある。
 それは世界のいろんな国にいる動物の大多数は勝手に自由に歩き回っているのに、日本の犬だけ中世の囚人のように四六時中鎖につながれている、ということを知ったからだ。
 鎖につながれた犬を見るのは、なんだかしみじみかなしい。

〜〜〜〜〜〜〜
 犬って、ほんとに昔からの人間の友達なんですよね。犬に「人格」を求めてしまうのは、人間のわがままなんでしょうけど。
僕も、子供のころは、庭先につながれている犬をみては、「こいつは何考えてるんだろうなあ…」と疑問に思っていたのです。自分の家でも犬を飼うようになって思うのは、彼らは本当に家族の一員だということなんですよね。
家に不幸があれば、哀しい顔をしているし、相手にしてくれないと「かまって〜」とじゃれてくる。一時期、実家に帰るのは、うちの犬の歓迎を受けるためだけ、という時期もあったくらいで。

 でも、つながれている犬を見るのもかなしいけれど、あまりにネコかわいがりされている犬を見るのもなんだかなあ、と思います。服とか着せられてるのも、しみじみかなしい。正直、犬にとってはじゃまくさいだけだと思うのですが。もちろん、日本の居住環境がいちばんの問題なんでしょうけど、実は、くさりで繋ぐのは、浮気をしてほしくないという人間の不安のあらわれなのかもしれないなあ。

 「南極物語」、僕は子供の頃宣伝の「どうして、犬たちを見殺しにしたんですか!!」〜わんわんわん、「タロ!ジロ!」というところしか記憶になかったので、ようやく記憶の糸がつながった気分です。
 亡くなった犬たちはかわいそうだけれど、彼らは、ほんとに人間のパートナーだった思うと、それもひとつの生き方なのかな、と。
共依存の対象となるより、幸せなのかもしれない。
でも、この「犬か機材か?」って話、感動的なタロとジロの生還がなければ、きっとこんなに世に広まることもなかったんでしょうね。
ただ、犬が犠牲になった、というだけのこととして。