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2002年03月01日(金)
2002年3月1日。

塩野七生「男の肖像」(文春文庫)より抜粋。

 日本で、ある人に、こうきいたことがある。自分の意のままに人を動かせる人物がいるが、なぜ手足のごとく駆使できるのか、と。その人の答えはこうだった。
「手足と、思っているからだ」

〜〜〜〜〜〜〜
 アテネ民主主義の象徴、ペリクレスについて語った章にあった言葉。
実際に、ペリクレスが言った言葉ではないです。念のため。
他人に「命令」するということをなんの躊躇もなく出来る人というのは、そんなにたくさんはいないと思われる。が、まちがいなく、自分が命令すること、他人が自分の意のままに動くことが当然だと思っている人間というのは、存在しているのだ。
 僕は、外務省の官僚たちがどうして鈴木宗男議員の思いのままに動かされたのか、かねがね疑問だった。それには、予算を取ってきてくれるとかいうメリットだけでなく、「自分たちに命令するのが当然だと思う人間の力」に圧倒されてしまっていた部分があったのではないだろうか?

 しかし、まわりが手や足ばっかりの人生というのも、ややモノガナシイ印象もあるのだが。

 ちなみにペリクレスの治世は40年近く続いたが、彼は権力の座にあるうちに、財産を1ドラクマ(アテネの当時の通貨)も増やしも減らしもしなかったという。「彼は、賄賂については民衆がひどく鋭敏に反応することを知っていたのだろう」というのは塩野氏の言葉。
逆に、そこまで徹底しきれずに「ムネオハウス」とかつくってしまうところが、鈴木議員の器の小ささ、言い換えれば庶民性ということなのだろうか。

 じゃあ、俺も他人を手足と思うようにしよう!
とお考えのみなさん、きっと意識してそうしようと思っている時点で、ムリと思われます。残念ながら。