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2002年02月19日(火)
2002年2月19日。

西日本スポーツの記事より。

「千と千尋の神隠し」で第52回ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞したアニメ映画「千と千尋の神隠し」の宮崎駿監督の帝国ホテルでの会見。

「子供たちに見せるためにつくったので、既に報いられたと思う。授賞は付録のレベル」
さらに、アニメやゲームがもたらす子供への影響に話が及ぶと表情を一変。自信の代表作をとりあげて、
「となりのトトロを一日で三回みるという子がいるが、5時間で(ほかのことの)経験がどれだけできることか」
と指摘。
その上で、「母親が携帯電話で話す横で、子供がゲームをする。なんてだらしないんだ。今の子供は火もつけたり消したりできないのに、パソコンのキーだけは押せる。こんな民族は健康に行きてはいけない」と現状に警鐘を鳴らし、「自分はアニメのビデオを売り、喜ばれれば喜ばれるほどジレンマの中にいる」
と”世界のミヤザキ”としての苦悩も吐露した。

〜〜〜〜〜〜〜
宮崎監督、授賞おめでとうございます。
しかし、監督自身の作品が評価されればされるほど、ジレンマも大きくなっていっているようで。確かに、「自然を大事にしなければ、もっと子供は外で遊ばなくちゃ」という訴えをアニメで観ながら、結局、アニメの中のバーチャルな自然に憧れてしまって、テレビの中の大自然を大事にしようと思っているのが現状。
それでも、全く意識しないよりははるかにマシだとは思いますが。

「千と千尋の神隠し」は、宮崎作品のなかでも最大級の興行成績と賛辞を受けている作品となったわけですが、あまりに「自然を大切にしよう!」という宮崎監督の訴えがストレートすぎて、(「ハク」に関するエピソードなど、ですね)僕はあんまり好きじゃないです。画面の妙なおどろおどろしさも含め、面白いとは思いますが。

「大作」を作るのには金がかかり、スポンサーとのからみや(「クロネコのジジ」とかですね)、宮崎駿という名前のしがらみによってある種の制限が生まれたり、してしまっていることに、本人も疲れている部分があるんじゃないでしょうか。

「カリオストロの城」や「風の谷のナウシカ」のほうが、教条的でなく、誰もが楽しめる上質のエンターテイメントだったと思ってるのは、僕だけでしょうか?

でも、「日本を代表する映画監督」であるために、常に大作、ためになる、金になる作品を作りつづけなければならないジレンマを感じつづけてるのは、ほかならぬ宮崎監督自身なんでしょうね。

三谷幸喜氏が、著書の中で自分が主催していた「東京サンシャイン・ボーイズ」という劇団について、「観客動員や周りの評価はどんどんあがってきてるんだけど、自分としてはもう劇団としてのピークは過ぎていると感じた時期があり、結局、解散してしまった。みんなは何故?と聞くけれど、自分としては必然のことだった」と書かれてました。正直、宮崎監督も、こういう気持ちでおられるのかもしれないなあ、と。