月の輪通信 日々の想い
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| 2005年06月22日(水) |
Book Baton |
父さんの個展、搬入完了。 今日は朝から出品作品の梱包作業に追われた。 リストアップされた作品を採寸し、薄様やエアマットで包み、段ボール箱に詰めて紐をかける。そんな作業の合間にも、父さんはまだ最後の最後の窯出しの作業。 梱包作業は、何かと気を使うしんどい作業だが、美しい新作の数々を誰よりも先に目にして触れて大切に梱包することのできる、心弾む仕事でもある。 明日から一週間、父さんはデパートのアートサロンにカンヅメ。 連日の鬼気迫る徹夜仕事の成果を披露する。
巷では、なんとかバトンがいきかっているそうな。 あちこちのサイトでいろんな方がお気に入りの音楽について語っておられるのを横目に、まさかうちには回ってこないだろうとタカをくくっていたら、アヒルさんから、「Book Baton」というのを頂いてしまいました。 本のことをお喋りするのは楽しいのですけれど、とっても趣味が偏っているものですから、恥ずかしいです。
●持っている本の冊数 結婚前には部屋の壁一面分の書棚が、文庫本でギュウギュウ詰めでした。そのまま実家に置きっぱなしです。今は少ないですよ。図書館常連ですから・・・。
●今読みかけの本 or 読もうと思っている本 五味太郎著「大人問題」 つい2,3日前に読了 辰巳芳子著「味覚旬月」 文庫版の表紙の美しさに惹かれて購入。「メッケもん」の予感。 青木玉著「底のない袋」 特定の作家、似たようなジャンルの作品を続けて読み進めていくのが最近の読書傾向。
●最後に買った本(既読、未読問わず) 幸田文著「季節のかたみ」「台所のおと」 ブックオフで買いました。 辰巳芳子著「味覚日乗」
●特別な思い入れのある本、心に残っている本5冊(まで) 辻邦生著「背教者ユリアヌス」 中三の頃、国語の先生に勧められて読み、辻邦生作品に傾倒。 セルジュ&アン=ゴロン著「アンジェリク」 高校生の頃、はまりました。いまだに26巻、全巻持ってます。 灰谷健次郎著「天の瞳」 大学生の頃、「こういう子どもを育てたい」と思いました。 現実は違うけどね。 安野光雅著「旅の絵本」 字のない絵本ですけど。 ガース・ウイリアム「しろいうさぎとくろいうさぎ」 これも絵本。 父さんが出会って最初にプレゼントしてくれました。 ●次にまわす人5人まで すみません、どなたにお願いしたらいいものか・・・。 お友だち少ないもんで、止めさせてください。
父さんの個展の作品が次々に仕上がってくる。 なだらかな古都のシルエットの浮かぶ夕景のお茶碗。 涼やかな風の音が聞こえそうな竹林の水指。 一冊の絵本を見るような陶額の小品。 私の目から見るとどれも夢のように美しくて、「きっとこれもすぐに買い手がついて、手元から離れていってしまうのだな。」と胸がきゅっと痛くなる。それでも、父さん自身にとっては、どれほどよい作品が出ても、まだまだ充分満足とはいえないらしくて、締め切りが迫るに連れて凹んだりイライラしたり、ついつい感情の起伏が激しくなる。 「まだまだやりたい事があるのに時間が足りない。」 「思っている表現がうまく出せない。」 「締め切り間際になって、新しいアイディアが浮かんでくる」 毎回毎回、個展のたびに繰り返す作家の苦悩。 父さん、もう、充分いい作品ができているじゃないの。 やり残した事は次の個展で再度挑戦すればいい。 「あと少し」「今度こそ」をいっぱいやり残していくからこそ、父さんの仕事は次に続いていくものなのだから。
夕方、父さんは仕事を中断して、額縁屋さんへ出かける。 焼きあがった小さい陶額の額装を頼みに行く。 いきつけの額屋のOさんは父さんの大学の後輩で、ご自身も版画家として活躍しながら、額縁屋さんのお仕事もなさっている。サイズもイレギュラーで絵画よりもずっと厚みと重さのある父さんの陶額を、あれこれ工夫して額装してくださる。その作業は、とても緻密で几帳面。小さな妥協も許さず、何度も採寸し、微妙な違いを何度も修正しなおして丁寧にしあげてくださる。締め切りぎりぎりに捻じ込むように無理な注文をつけても、いやな顔をせず、何とか間に合うように苦心してくださる。これもまた見事な職人技だなぁとつくづく思う。 近頃父さんが力を入れている葉書サイズの風景の陶額は、Oさんの確かな額装の技術と出会ってこその新機軸だ。
父さんがOさんと打ち合わせをする間に買い物をと思い、父さんの車に便乗、額縁屋さんの近くのスーパーでおろしてもらった。 いつもと違うスーパーで、夕飯の一品や閉店前の見切り品をあれこれ買って時間をつぶし、駐車場の入り口で父さんを待つ。 「30分ほどかかるかな。」 といっていた待ち合わせ時間、予想通り大幅延長。 職人気質のOさんと強いこだわりを持つ父さんの打ち合わせが、予定より早く終わるわけがない。 ビュンビュンと通り過ぎていくよその車を何台も何台も目で追って、父さんの車を探す。
久しぶりだなぁ、待ち合わせ。 結婚前のデートの時には、よくこんな風に父さんの車が迎えに来てくれるのを待ったものだ。父さんは昔っから遅刻の常習犯。仕事の性格上、出掛けに不測の仕事が振って沸いたり、前の用事がずれ込んだり・・・。あの頃はまだ、携帯電話も今ほどは普及していなかったから、ひと気もまばらになった駅前とか、埃っぽい国道のバス停だとかいろんな所で父さんの迎えを待った。デートはいつも「待つ」ことからが始まりだった。 出会いの時から既に、私たち夫婦には「待つ人」「待たせる人」の役割分担が出来上がっていたのだなぁと可笑しくなる。 待ち合わせ時間に遅れた父さんが、きょろきょろとあたりを見回して私の姿を探しながら近づいてくる、その瞬間が私はいまだに好き。 結婚して15年。 私の「待つ人」生活もすっかり板についた。
山の緑が日ごとに勢いを増して、ワイワイと押し迫ってくる感じ。 この季節の植物の揚々とした成長振りは、みしみしと音を立てて進むようで、気持ちがよい。 わずか数ヶ月でワンサイズ、靴の寸法が変わる我が家の子ども達もちょうど山の緑と同じ季節を過ごしているのだろうか。 白いTシャツからニュウと突き出たアユコの腕。 妙な圧迫感で頭上から降って来るようになったオニイの野太い声。 グリグリと目を光らせて始終面白い事を探しているゲンの好奇心。 そして、小首をかしげ余白に小さな丸をいくつも書いて10までの足し算引き算と格闘しているアプコの宿題。 今月はやけに米櫃の米の消費のスピードが早い。 そして、毎日沸かす冷茶用のプーアル茶の消費量も・・・。
ゲンが最近しょっちゅう行方をくらます。 子ども達の帰宅が全員そろって「アイス食べるよ〜!」と呼んでも、夕飯前の慌しい時間「そろそろご飯だよ〜。手伝って〜!」と召集をかけても、ゲンだけが何故か声の届く範囲内にはいない。 時には、朝の支度で皆が右往左往する時間にさえ、とうに早起きしたはずのゲンの姿が見えない。 「また、”下”へ行ってるな。」 まったくねぇと外に向かってゲンを呼ぶ。 「はぁ〜い」と一階のベランダの床の下から、とぼけたゲンの返事が返ってくる。
我が家の庭は川沿いの斜面にあるので、ちょうど一階のベランダ下が半地下のようなスペースになっている。普段は私のガーデニング用品だとか古い自転車とかの物置小屋として使っているのだけれど、最近はその半分のスペースがいつの間にやらゲンに占領されはじめた。 今年の誕生日のお祝いにと買ってもらった「ダイオウクワガタ」のペア。 去年から持ち越しの正体不明の幼虫。 おじいちゃんちの茶室の縁の下から連れてきたアリジゴク。 お向かいのMさんが捕まえてくれた今年第一号のノコギリクワガタ。 ゲンの大事なペット達の飼育ケースがずらりと並ぶ。
クワガタに直射日光がいけないといえば、どこからか古いベニヤ板を探してきて日よけを作る。 アリジゴクの巣に水遣りの水滴がおちるといえば、壊れた水槽でドームを作る。 自分の部屋は足の踏み場もないほど散らかっているというのに、ベランダ下の秘密基地の床はきれいに掃き清められ、資材や買い置きの餌はふたつきのケースに丁寧に収めてある。 ここ数日は、クワガタムシの餌の昆虫ゼリーにアリがたかるといって大騒ぎをしていた。 飼育ケースの周りにサラサラの砂の土手をつくる人工アリジゴク作戦。 台所のアリ退治に使った駆除剤をせしめての「アリの巣コロリ」作戦。 そして、飼育ケースの周りに水を張ってのお堀水攻め作戦。 次から次へとアリ対策の妙案を考えては、そそくさと一人で作業にいそしむ。ほっぺたまで蚊に喰われ(飼育ケースのそばでは蚊取り線香も焚けないので)、手も足も泥だらけにして、愛しいクワちゃんたちをかいがいしくお世話する。 まだまだこれがゲンにとっての「夏」なんだなぁ。
ところで、ベランダ下の物置は本来、私にとっても唯一子ども達の喧騒を避けて一人になり、ガーデニングにいそしむ逃避ための場所だった。 いつの間にか、ゲンとそのペット達がやってきて、最近ではその利用時間は圧倒的にゲンの方が長くなっている。 たまに私がベランダ下へ降りていくと、「何しに来たの?」というようないぶかしげな顔で見上げるゲンとバッチリ目が合う。 ゲンにとっては、母の方がノックもなしに自分の秘密基地に下りてくる、うるさい闖入者に映るのだろう。 「庇を貸して母屋を取られる」というのは、こういう事を言う。
洗濯物の中に、見慣れぬハンカチが混じっていた。 薄いピンクにバラの小花の散った美しいハンカチ。 アユコのではない。もちろんアプコのでもない。そして残念ながら私のでもない。 ハンドタオルばやりの昨今、こんな薄霞のような華奢なハンカチを持つ人はどんな人なのだろう。 そして、その几帳面に畳まれたハンカチを「はい、これ・・・」とさりげなく差し出すことの出来る人は一体誰なんだろう。
ハンカチを集めるのが、好きだった。 特に小花模様の大判の木綿のハンカチ。 一度使えばすぐに水気を含んでしなしなっとなってしまう薄様のようなハンカチに隅々までピシッとアイロンをかけて、その日の服装に合わせた数枚をバッグの中に忍ばせる。 時にはデパートの用品売り場で、まるでよそ行きのブラウスでも選ぶように何十分もかけて一枚のハンカチを選ぶ事もあった。 結婚して、お飾りような薄様ハンカチは赤ん坊の乳で汚れた口元をぬぐうガーゼのハンカチになり、お食事エプロンの代用にもなる大判のハンドタオルになり、急に巷にあふれ出したミニサイズのハンドタオルに落ち着いた。 今、私の買い物袋の中にはいつも、アイロンの手間の要らない実用的なミニハンドタオルが数枚。お子様向きのキャラクター柄のが少し駆逐されはじめ、少しづつ落ち着いた色合いのタオルの割合が増えた。 青春の日々を共に過ごした美しい絵柄の華奢な木綿のハンカチたちは、久しくたんすの引き出しに眠ったままだ。 まさに女の一生だなぁと思う。
さてさて、謎の花柄ハンカチ。 このところ工房に缶ヅメ状態の父さんには近づく妙齢のご婦人の影はない。 汚し屋のゲンには、まだまだ洗いさらしたゴツいタオルハンカチの方が必要だ。 それではもしかして、オニイに遅まきの春の予感?
・・・・と、ニタニタ笑っていたら、謎が判明。 どうやら麗しい花柄ハンカチの持ち主は中学の担任のM先生らしい。 給食のときトレー代わりに敷く給食ナプキンを忘れたオニイに、先生が貸してくださったのだという。 なぁんだ、つまらない。 M先生は何かと面倒見もよく、ガハハと陽気に笑う家庭科の先生。典型的な大阪のおばちゃんだ。(ごめんなさい!) よく見ると、ピンクの花柄ハンカチの隅には「Takarazuka Revue」の飾り文字。 ああ、そうか、宝塚ね・・・。
子どもの頃、クラスには必ずとびきり絵の上手な子がいた。 美しい流線型のスーパーカーの絵を細かな部品に至るまで正確に美しく描く事ができた男の子。 お目目きらきらの少女漫画の美形のヒロインをさらさらとオリジナルで描いてくれた女友達。 美術の課題の風景画で、夕焼け空を描くのに大胆な紫と黄色を迷わず選んで微妙な色彩を生み出した美術部の先輩。 彼らの手から生まれる美しい色と形。 その過程はまるで夢か魔法のようで、いつまでも飽きることなくその手元の作業を見守る。それは描く事は好きだけれど画才には恵まれなかった私にとって、至福の時間だった。
幼いとき、「大きくなったら、絵を描く人と結婚したい。」と本気で考えていた時期があった。 おとぎ話や空想小説を書くことが好きだった私は、自分の考えたストーリーや主人公に色鮮やかな美しい絵を描いてくれる心優しい貧乏絵描きとの恋を夢見た。 今、考えると赤面してしまいそうな少女趣味。「幼い」ってことは怖れを知らんってことだなぁと、苦笑するばかり。
夫の個展の日が近い。 最後の追い込みの制作の日々が続く。 着想が決まるまでの悶々とした日々、作っては投げ出す試作の戦い、怒涛のごとく土に向かう連日の徹夜、窯のあがり具合に一喜一憂する朝。 土と釉薬にまみれて、どんどんくたびれて煤けていく夫の仕事着を洗う。 「愛情一本!」のドリンク剤を買う。 すぐに食べられてボリュームがあって、徹夜の仕事にも腹にもたれない、夕食メニューを考える。 飛び散った釉薬の残る夫の髪を梳く。 そして、「15分だけ・・・」とタイマーをかけて仮眠する夫の横に、するすると寄り添って横になってみる。 年に数回、「作家の妻なんだなぁ」と実感する数週間。
「いいのが、焼きあがったよ。」 窯出しのたび、夫は私を仕事場に呼ぶ。 凜凜と風の渡る竹林を描いた花入。 穏やかに静まった海原を模った水指。 はるか遠くに心を飛ばす青い山並み。 夫が見たもの、美しいと感じた風景、強く惹きつけられた空の色が、そのまま切り取られたかのように陶の素材に載せられている。 泥まみれの過酷な夜なべ仕事の成果が、こうして美しい色彩と心安らぐ形となって誕生してくる事の不思議。 そうして、こんな魔法の使い手が、ほかならぬ私の夫であるという事の幸福。
この人は自分の心の内にある美しいものに、美しい色と形を与える事の出来る人だ。 「美しいものを作り出す手」が私の夫のものであり、その手に守られて今日の日の私の生活があるのだということがしみじみと嬉しくなることがある。 もしかしたら私はまだ、貧乏絵描きと恋をする」という幼い日の憧れの世界を生きているのかもしれない。
吉向孝造作陶展
京阪百貨店守口店6階アートサロン
2005年6月23日(木)〜29日(水)
土曜参観の代休でぶらぶらしているオニイとアユコを習字に送っていく。 先生のTさんとマンツーマンに近い贅沢な稽古の時間。 アユコは4月から習い始めた仮名の稽古。 オニイも初めて6文字の漢字の臨書に時間をたっぷりとる。 基本からこつこつ学んで少しずつ生真面目に上達していったアユコと、中学に入ってから急に習字を習いたいと言い出して、気まぐれに時々出かけて行っては好きな文字を自己流に書きなぐってくるオニイ。書道に対するアプローチの仕方がずいぶん違う。 先生から貰った手本を眺め、最初の印象で大まかな形を捉えて作品に仕上るオニイの書道は、どちらかというと絵画的だなぁと思う。基本の学習も押さえずに感覚だけで入っていった型破りのオニイだが、いつの間にか書道らしい趣も見えるようになってきた。これはこれでいいのだろう。
早くに今日の分を書き終えたオニイにTさんが高校受験や進路の事について話をする。 ○○をちゃんと勉強しておかなアカンよ。○○しておかないと××が困るよ。 受験のノウハウやら試験勉強のやり方など事細かに教えて、挙句にはYちゃんの数学の教科書を持ち出して、数学の乗法公式を教え始めた。オニイ、突然のスパルタ教師出現に面食らっている。Tさんにも中三生の娘があるので同じ感じでお説教してくれるのだ。 「ウチのYちゃんは、試験が近いというのに、○○の公式もあまり理解していなかった。昨夜遅くまで私が教えたんだけど、なかなか××が出来るようにならないのよ。オニイ君はこれちゃんとわかってるよね。」Tさんは元高校教師なので、中学生の数学くらいなら家庭教師代わりが務まるのらしい。 元来ウチでは、母親の私が子どもの教科書をいちいちチェックしたり、試験勉強の内容をにあれこれ口を出したりという事はあまり無い。 ふ〜ん、よその親はこんなに子ども達の学習内容を把握して、試験勉強を手伝ったりしているのかと私も感心してしまう。 Tさんちは、一人っ子。過保護にならないように気をつけているといいながら、子どもの学習内容から体調、友だち関係まで、いろんなことを母親が把握して口出ししているのに驚く。受験生とはいえ、親は15歳にもなる子どもの生活のこんなに細かなことまで把握して、いろいろ助言しておかなければならないのか・・・。 あたしには無理だ。
今朝、奇しくもアプコが私に訊いた。 「ウチのお母さんは悪い点数をとっても叱らないの?なんで?」 アプコにとっては母親は、ドラえもんに出てくるのびた君のママのように子どもが悪い点を取ってくるとガミガミとお説教をする物だというイメージがあるらしい。 「そういえばそうだねぇ、100点取ってもあんまり『凄いっ!』て褒めてくれる事も無いけど・・・。」とオニイも言う。 「別に・・・。悪かったものは悪かったで仕方がないでしょ。お母さん、ん、テストの点数の良し悪しにはあんまり興味が無いのよ。子どもに関しては学校の成績以外のことで気に掛かる事がいっぱいあるからね。」とはぐらかしておく。
この間から、オニイの進路の事について、父さんとも話をする事が増えた。 オニイの希望通り近隣の普通高校へ行くのがよいのか、父さんの母校でもある陶芸科のある学校を受験したほうがいいのか・・・。 オニイの気持ちや適性、経済的条件や家族の将来の生活設計まで、あれこれ考えていくとドンドン泥沼にはまっていくばかりで、何が最善の選択なのか誰にもわからなくなってくる。 長男であるオニイに家業の窯元の継承の可能性を探る我が家では、オニイの進路計画は家業の将来にもリンクする。 子ども達の未来だけでなく、窯元の存続を同時に考えている父さんにとっては、先の見えぬ息子の将来の進路決定は普通の父親以上に気に掛かるものなのだろう。
個展前の制作のイライラや工房の仕事の多忙によれよれに煮詰まっている父さんは、息子の進路の悩みもまた我が事のように抱え込む。 それはそれで、親として立派な事だけれど、なんだか息が詰まりそうな気がしてくる。 「ま、ね。いろいろ考えたって、結局の所、それはオニイの人生の問題よ。選択するのはオニイだし、その事で後悔するのも喜ぶのもそれはオニイの人生よ。」 私は投げるように言って、父さんの重い荷物を一つ下ろしてもらう。。 親が子のために良かれと思って勧めてやる進路決定、最善と思われる準備、自分の経験に基づく助言やお小言も、結果としてその子のためになるかどうかは誰にもわからない。 ならば子ども自身が自分の出来る範囲の中で充分に悩んで、自分で選んだ人生を生きてもらうより仕方がない。 私はそう思う。
「試験勉強を頑張るのも、勉強そっちのけで本を読むのも、結局それは君の選択だしね。だけど、その結果はよくても悪くても自分で引き受けな。」 と投げ出す母は、試験前に子どもに乗法公式を教えノートの取り方までチェックするTさんより、0点のテストにガミガミお小言を言うのびた君の母よりある意味たちが悪い。 「どっちがやりにくいかは微妙な所・・・」とオニイは思っているに違いない。 それで結構。 現実の世の中には、『どこでもドア』や『タケコプター』をいつでもポケットから出して与えてくれる気のいいドラえもんはいないんだから。
「おかあさん、これ、どのくらい切ればいいの?」 付け合せのキャベツを刻んでいるアユコが私に訊く。 自分で見当をつけて剥がしたキャベツが、もうちゃんと洗って籠にあげてあるというのに、その分量にいまいち自信がなくて、必ず母に念を押す。 「このブラウス、ちょっとだけしか着てないから、明日もう一回着ていいかな。」 お気に入りのブラウスをもう一日続けて着たくて、アユコが私に訊く。洗濯籠にいれずに丸めて自分の部屋へ持って上がればいいだけのことなのに、やっぱり母に一言たずねる。 自分で「これでいい」とか「こうしよう」とかだいたいの見当はついているくせに、いちいち母に確認を取るのはアユコの癖。 そこそこ器用で、なんだってやればできてしまう筈なのに、なんだかちょっと念押ししてみたくなる。そういう優柔不断は、アユコには内緒だけれど実は母譲り。
「さあね、知らないよ。自分で決断してね。」と答える母は意地が悪い。 「それでいいよ。」とか「こうしたほうがいいよ」とか、あと押しする言葉を言わない事にしようと決めた。 母が何にも言わなければ、アユコはしばらく逡巡して、そして自分で決断する。ちゃんと自分で決める力は持っているのだ。自分で決めたことをちゃんと最後までやる力も・・・。
今日、アユコは初めて一人で美容院へ行った。 プールの授業が始まる前の年中行事。冬の間、長く伸ばして束ねていた髪をばっさり惜しげなくカットして、ショートヘアに変身する。いつもなら母の美容院行きに便乗して、隣のいすに座って一緒にカットしてもらっていたのだけれど、もうそろそろ一人美容院デビューをしてもいい頃だろう。 「美容師さんにどんな風に髪型を説明していいんだか、わかんないよ。」 「前髪を短くして、変になったらどうしよう」 例によって、アユコは出かける前に散々悩む。 「ねえねえ、お母さん。なんていったらいいと思う? 肩より短くしたほうがいい? それとも髪ゴムで結えるくらい長めにしておいたほうがいい?」 いい加減母も面倒くさくなって、「何でもいいけど、早く行かないと雨降ってくるよ。自転車で行くんでしょ?」と思わずさっさと切り上げてしまう。 あ、しまった。 背中、おしちゃった。
思い切ったショートヘアをさらっと揺らして、アユコの自転車が軽快に帰ってきた。重たい束ね髪がなくなって、頭が小さくなったとアユ子が笑う。 白いTシャツには、さっぱりショートヘアがよく似合う。
「おかあさん、あたし、生徒会、立候補する事になったよ」 それはアユコが自分で決めたんだね。
久しぶりに用事で小学校の職員室に行ったら、W先生が大ぶりの花器に奔放にのびた紫のセージをたっぷり活けておられるのに居合わせた。一年生の教室の前の花壇にたくさん咲いているのだという。 近頃あちこちの花壇で見かけるセージの類は、適地を見つけるとドンドン株を太らせ、種子を撒き散らし、勢力範囲をぐいぐい広げていく。 「この紫のセージはラベンダーセージ。」 もてあまさんばかりの豊かな葉っぱと惜しげもなく散り急ぐ紫の花弁をなんとか花瓶に収めて、W先生が笑う。W先生は、以前にストレプトカーパスの鉢植えを下さった園芸のお好きな先生だ。 「アプコちゃんに、今日、花の名前を教えといたんだけどなあ、きっと忘れちゃってるね。」 一年生の教室の近くには、赤い花の咲くパイナップルセージの株もあって、その葉っぱからはパイナップルに似た甘いにおいがする。その葉っぱをアプコに見せて「パイナップルセージ」という名前を教えてくださったのだという。みずみずしい緑の葉っぱを手渡されて、小首をかしげながらくんくんとその匂いを嗅ぐアプコの姿が思い浮かんで、何とも微笑ましくなった。
帰宅するとアプコがさっそく頂いてきたセージの一枝を見せてくれた。 途中お友だちのKちゃんの家に寄り道したアプコは、Kちゃんのお母さんにも見せ、しなびてしまわないようにコップの水に浸してもらっていたのだという。 「ねぇねぇ、いい匂いがするよ」アプコは家族全員の所を回って、みんなにくんくんさせてくれた。 まだ花もつぼみもない一枝を、大事に大事に持ち帰ってくる一年生の愛らしさ。 「なんていう名前だったっけ?」と聞いてみると 「パイナップル・・・なんだっけ」と自分の好きな果物の名前だけを記憶しているのがご愛嬌。
「アプコ、お花を花瓶に挿すときには、下のほうの葉っぱはとってね、水に葉っぱが浸からないようにしないといけないよ。葉っぱが腐って水が汚くなるからね。」 この春から学校のクラブで生け花を習い始めたばかりのアユコが教える。 ガラスのコップに挿したアプコのセージの下葉をきれいに取り除いて、活けなおす。 「ほぉ、いいこと知ってるんやねぇ。」 母が教えようとも気づかなかった事を、学校で習ってきたばかりのアユコが幼い妹にさりげなく教える。 これもまた、なんだかちょっといいなぁと思う。
「ところでアユコ、この間あなたがいけてくれたお花、そろそろ片付けておいてね。なでしこのつぼみももう咲かないみたいだし。」 週に一度、クラブの稽古で頂いてくるお花はアユコが工房の玄関や自宅におさらいを兼ねていけなおしてくれる。日が経ってしおれたり、散ったりしたお花を始末するのもアユコの役目だ。 気温が高くなり、いけた花の持ちもだんだん悪くなり、油断をすると花弁を落として軸だけになった百合や開花を見ずに固く萎んだカーネーションがいつまでも醜態を曝すことになってしまう。
「一番きれいなときを過ぎてしまった切花は早く片付けてやらないと可哀想。しおれた花なら飾らないほうがまし。」 実家の母は昔、そういって盛りを過ぎた花瓶の花を長く放置しておくのを嫌った。 なるほどなぁと思いつつ、でもまだもしかしたら咲くかもしれない小さなつぼみや散りゆく間際の美醜の狭間すれすれの彩りを残した花弁を捨て去るには忍びなくて、花首を折る手元が逡巡したのを思い出す。 「花は盛りの一番美しいときを愛でる。老いさらばえた姿を人目に曝さない。」という心使い。 儚げな草花ばかりを好む母の美意識。 最後の一輪が息絶えるまで、見守ってやりたいという私の躊躇。 年齢を重ね、女としての一番美しい季節を既に見送った母は、そして私は、いつから迷うことなく盛りを過ぎた切花を手折ることが出来るようになったのだろうか。
そんな思いを打ち消すように、アユコに枯れたお花の処分を促す。 若く、美しく、これから花開かんとする青いつぼみの年齢を生きるアユコには、花弁を落とし終焉を待つばかりの百合の心情は理解できない。 ましてや、赤い花とも白い花とも見当のつかない幼いアプコには、美味しいフルーツの香りのセージの小枝が似つかわしい。 ガラスコップに近づくとほのかに甘い果実の香り。 食いしん坊の鼻がぴくぴく動く。
冷蔵庫の野菜室が空っぽになったので、買出しに出かける。 いつも大盛り格安の八百屋さんでキャベツや玉ねぎなど重くてカサのはる野菜をドンドンレジ籠に入れて、グルッと一回りしてから目に付いたのが籠いっぱいのキュウリ。 ざっと見ただけでも20本以上。それがたったの190円。 「なんだか笑っちゃいますね。」と傍らで品定めをしているご夫人と笑う。 「キュウリばっかりこんなにあっても困るけど・・・」といいながらもう彼女は買う気満々。ご主人に目配せしてもう一つレジ籠を調達している。 なんだか変なところで負けん気出しちゃって、私も一盛お買い上げ。 まだ、買い物を始めたばかりだというのに、両手にいっぱい野菜の入ったレジ袋を抱え込む羽目になって、うんこら言いながらいったん駐車場まで荷物を置きに戻った。
「見てみて、笑っちゃうでしょ。このキュウリ。」 レジ袋にずっしり重い大盛りキュウリは数えてみれば25本。 一本、十円しないのね。 一本のキュウリの株から、一日に一体何本のキュウリが収穫出来るのだろう。つやつや輝くまっすぐな上物のキュウリを10円足らずで買われたんでは、農家の人たちは「笑っちゃうね」では済まないだろう。 得した気持ちと、なんだか誰かに悪いなぁと言う気持ちで買ってきたキュウリを机の上に並べてみる。
とりあえず、だし醤油で我が家定番の簡単浅漬けをと、父さんの好きなミョウガを一パック。 こちらはまだまだ出始めの少々お高い値札がついていた。 キュウリを買い叩いたお詫びにと、高値を承知で買って来た。 トントンと荒く切ったキュウリにミョウガの細切りを添えてジャブジャブとだし醤油をかけて冷蔵庫で一晩。 我が家の夏の味が食卓に戻ってきた。 おばあちゃんちへのおすそ分けのあとに残ったきゅうりは15本。 セロリと一緒に甘酢でつけたり、酢の物にしたり、毎食毎食、食卓に上ることになりそうだ。。
高校生の頃、家庭科の授業でキュウリの輪切りのテストがあったなぁなんて昔のことを思い出した。 いかにも「家庭科の教師!」っていうタイプの老先生がストップウォッチを持って女生徒たちの輪切りの実技を厳しく採点する。お手手つないだ連結キュウリや半円型の欠陥キュウリは減点対象。一枚1ミリ以下と基準が決まっていて、結構大変なテストだった。 テスト前に何度か自宅の台所で輪切りキュウリの特訓をしたのも懐かしい。 あれはちょうど高校一年の今頃の季節だったか。 あのときに今のような大盛り格安キュウリがあったら、きっと私の包丁さばきもぐんと上達したに違いない。 ちょうどいい、キュウリがたっぷりある間に、アユコに「キュウリ輪切り」の自主練習でもさせてやろう。几帳面なアユコはきっと完璧な満月キュウリを刻む事が出来るようになるだろう。
・・・・と、相変わらず自分は「お手ェ手ェ〜、つ〜ないで〜♪」と鼻歌を歌いながら、減点キュウリを刻む。 きっとあのオールドミスの先生がごらんになったら「ンまあ!」と呆れて目を丸くなさるだろう。そうそう、尖った眼鏡の奥の小さな目をまん丸にして、唇をとんがらせて連発なさる「ンまぁ!」というあの口癖。影でみんなでモノマネしたっけ。 懐かしい。 なんだか笑っちゃう。
「おはよう、お母さん。今日僕はついに天才を超えたで!」 とにぎやかにゲンが起きてきた。普段からすっきりと寝起きのいいゲンが今日はことさら上機嫌で降りてくる。 6月6日、今日はゲンの11歳の誕生日。 「天才=10才」のダジャレらしい。
今年も何日も前から自分の誕生日を楽しみにしていたゲン。 誕生プレゼントは、前々から一度飼ってみたかった「ダイオウクワガタ」のペアと飼育用品。 誕生日の夕食は、母手製のクリームコロッケ。 ケーキは、一緒に下見に行ってひと目で惚れこんだメロンムースのホールケーキ。「メロン好きにはたまらない!」というキャッチコピーにコロリと魅せられてしまった 学校では、クラスの友だちから書いてもらったたくさんのメッセージカード。 「年に一度の誕生日なんだからさ。」と、自分であれこれ考えてリクエストした誕生日メニューに、ゲンの顔がほころぶ。 「嬉しくてたまらない」という気持ちが、隠しても隠してもニヤーッと頬の緩みで露呈してしまう。 そういうゲンの単純さというか素直さというか、なんとも愛すべきキャラクターがゲンの最大の才能だと母は思う。
「もう、そろそろ『ろうそくフゥッ』は卒業かなぁ」 と問う私に照れくさそうに「いやぁ、やっぱり誕生日にはアレがなくちゃ・・・」と答えるゲン。 いいんだよいいんだよ。 いくつになってもデパートの風船を欲しがってもいいように、 まだまだ「ろうそくフゥッ」が嬉しいという気持ちを隠さなくていいんだ。 中学生になっても高校生になっても、もっとおじさんになっても、嬉しいときには「嬉しい!」と、欲しくてたまらない時には「欲しい!」と言ってみていい。 嬉しい気持ちをストレートに人に伝えられる素直さは、きっとゲンの人生の大きな戦力になるに違いない。 君は喜ぶことの天才だ。
去年の誕生日には「今年の抱負は?」と聞かれて、「メロン丸ごと一個喰い!」と即答したゲン。あちこちで公言していたら、今年の正月、ゲンはメロン王になった。 今年の抱負はと訊ねたら、 「クワガタムシをドンドン繁殖させる事!」 だそうで・・・。 どうも、少々欲深いのが気にはなるけれど、公言してしまえば夢はかなうかも。 こういう欲張り加減もゲンにはちょうどいい。
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